野ボール横丁BACK NUMBER
「高校野球を特別扱い」の主語は誰?
何を批判しているのかがわからない。
posted2020/05/22 07:00
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Hideki Sugiyama
高校野球は特別か否か――。新型コロナが流行してからというもの、高校野球開催の是非を巡り、この問いを何度見聞きしたことだろう。
そして、いつも困惑した。
「特別」を辞書通り「普通一般とちがうこと」(広辞苑)と解釈するなら、聞くまでもない。特別だ。主観ではなく、事実が物語っている。集客力や大会規模を見れば明らかだが、学生スポーツでこれだけお金と人が動く大会は世界でも稀だろう。
つまり、何を問いたいのかがわからないのだ。
さらに困惑したのは「高校野球を特別扱いするのか」という類のものだ。主語が抜けている。批判どころか、日本語にすらなっていない。
それぞれの組織が自分で判断するのが公平。
たとえば、高校野球も高体連に属していて、高体連が高校野球以外は夏の大会は中止にし、高校野球のみ開催すると判断を下したとしよう。その場合、高体連に対し「高体連は高校野球を特別扱いするのか」と抗議するのなら理解できる。
しかし、実際は、高校野球を統括する高野連は独立していて、自分たちで大会を開催するか否かを決める権利がある。彼らは、そもそも誰かに「扱われる」立場にはない。
ついでに言えば、彼らが独立した組織であるのも誰かから「特別扱い」されたからではない。一言でいえば、歴史ゆえのことだ。高校のあらゆる競技が高体連に所属しなければいけないという義務があるわけではないので、当然のことながら、その自由は尊重されるべきだ。
公平ではないという批判も目にした。だが、それぞれの組織が自分たちで判断できることが公平な世の中なのであって、他の大会も中止なのだからこちらも中止にすべきという論法は、一種の圧力であり、その方がアンフェアなのではないかと思う。