メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
イチローと松井秀喜がいた幸福を、
球音が消えた今こそ思い出す。
posted2020/05/07 19:00
text by
四竈衛Mamoru Shikama
photograph by
Getty Images
米国から球音が消えて以来、3月が過ぎ、4月が終わった。
本来であれば、という言葉が頭をよぎったところで、現実から目をそむけるわけにもいかない。ただ、常に野球がある普通の状態が、いかに日々の生活に染みついていたかを感じざるを得ない。
全米中の遠征地へ向けて、飛行機に乗ることもなく、ホテルやレンタカーの手配も必要ない。
例年は年間250日以上の出張も珍しくないが、今のところ、自宅を離れる予定も、そのつもりもない。今、思えば、広大な北米大陸でもっとも激しい移動を繰り返していたのは、おそらく2003年からの数年間だった。
恐縮する松井をイチローがイジる。
当時、メジャーには、イチローと松井秀喜がいた。
2003年、松井がヤンキースに入団したことで、マリナーズのイチローとの対決が、毎年実現するようになった。同年のオールスターには、ともにファン投票で選出され、グラウンド上では初めて2人でキャッチボールする光景が見られた。
その後も、ニューヨークやシアトルで対戦するたび、互いにあいさつを交わした。イタズラっぽい表情のイチローが、恐縮する松井をイジる。それが、いつものことだった。
その後の数年間は、米国の球場のどこかで、必ずイチローと松井がプレーしていた。それが、日常だった。同じ右投げ左打ちの外野手ながら、野球スタイルも性格も異なる2人に対し、周囲はライバルのような見方をしていたかもしれないが、当人同士にそんな意識はまったくない。
プロ入り後、ともにスーパースターとなった2人の出会いは高校時代まで遡る。
2人の記憶によると、愛知県の豊山で育ったイチローと石川県の根上(現・能美市)で育った松井は、中学時代の大会で互いの存在を知ったという。2人が実際に顔を合わせたのは1990年。互いの母校でもある愛工大名電と星稜が定期的に練習試合を行っており、その試合で一塁を守っていた松井が出塁したイチローにあいさつしたのが初対面となった。