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英雄アイルトン・セナが愛したF1。
1994年5月1日は決意の日でもある。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byAFLO
posted2020/05/01 11:50
サンマリノGP決勝に挑む前のアイルトン・セナ。世界中が悲しみに包まれたクラッシュから26年が経過した。
安全性向上へ動き出したF1。
あのころ、F1はある意味、存亡の危機に直面していたといっても過言ではないほど、緊張状態に包まれていた。
それでも、F1が生き続けてきたのは、不世出の天才の死を教訓にして、さまざまな改革を行いながら、安全性を向上させてきたからにほかならない。5月1日は悲しみの日であると同時に、F1が安全性を一層向上させようと、決意を新たにした日でもある。
セナの死後、F1はエンジンの出力に制限をかけ、コーナーリング速度を落とすために空力に関してさまざまな規制を設けてきた。
頭部のケア、サーキット修正も着手。
ドライバーの頭部周辺の保護にもさまざまな対策が導入された。
まず'96年からコクピットにヘッドプロテクター装着が義務化された。現在、すべてのF1ドライバーが着用しているHANS(頭部及び頸部保護)デバイスは、セナの死をきっかけにF1でも'90年代後半から導入を真剣に考えだすようになり、2003年に初めて導入された。HANSは、急減速しても頭部が前方に投げ出されないよう固定する安全装置だ。
またヘルメットにもメスが入れられた。それまでのヘルメットのシェル(帽体)の素材はFRPと呼ばれるガラス繊維などをプラスチックと混合させることで強度を上げた繊維強化プラスチック材が使われていたが、FIA(国際自動車連盟)の強度試験の設定が厳しくなり、セナの事故から10年後の'04年にはフルカーボン時代へと突入した。
これらの安全性向上は、セナが頭部と頸椎に大きなダメージを負って亡くなったことを意味していた。
さらにFIAはサーキットの安全性向上にも務めていく。セナが命を落としたタンブレロ・コーナーは、コースの外側に川が流れているために、ラン・オフ・エリアが十分に設けられていなかった。そこでFIAは主催者に命じて、タンブレロでコースが内側に曲がるようなシケインになるよう改修させた。