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F1幻のホンダvs.トヨタの優勝争い。
撤退がなければ実現した夢の時間。
posted2020/04/30 11:50
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
LAT/AFLO
1993年にF1の世界に足を踏み入れ、これまで350戦以上のレースを現場で取材してきた。どのレースにもさまざまな記憶があり、どの勝利にも特別な輝きがあった。そんな中で、いまでも忘れられないシーズンだったのが、2009年だ。
当時のF1は、前年の9月にアメリカの有力投資銀行であるリーマンブラザーズが経営破綻し、それを契機として広がった世界的な同時不況、いわゆるリーマン・ショックの影響を引きずる中で開幕した。この年、初参戦したブラウンGPは、前年まで参戦していたホンダの撤退により、ホンダの資産を譲り受ける形で誕生した新チームだった。
ホンダがF1からの撤退を発表したのは、'08年12月5日。決定したのは、前日夕刻に開かれた緊急の経営会議だった。当時、ホンダの第三期F1活動のトップとして指揮を執っていた大島裕志常務執行役員は「もちろん、続けたかった。でも、そんな夢や希望が吹っ飛んでしまうくらいの現実が目の前に迫っていました」と悔しさをにじませ、撤退に至った理由を次のように続けた。
「リーマン・ショック以降、われわれも社内にタスクチーム(特別部隊)を作って、さまざまなデータから予想される今後の見通しを調査していました。ところが、そのタスクチームから上がってくる報告が11月になって、想像以上に悪化しました。それらを精査して、最終的に福井(威夫社長/当時)が決断しました」
撤退しなければ、会社がなくなっていた?
ホンダが撤退を発表した後も、世界経済はなかなか好転しなかった。当時を知るホンダのスタッフも「もしいま時計の針をあの日に戻すことができたとしても、同じ決定を下すしかなかったでしょう。撤退していなければ、会社がなくなっていたかもしれない」と会社の経営判断に理解を示す。
F1からの撤退を発表したホンダだったが、その時点ではイギリスに拠点を構えていたF1チームの去就は決まっていなかった。チームの解散を回避するため、ホンダは自分たちに代わるチームオーナーを探し、交渉を続けた。30社以上からコンタクトがあったが、実際に交渉のテーブルについたのは数社。しかし、売却するまでには至らなかった。