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日本女子バスケのホープ林真帆。
世界との差を感じたシカゴでの日々。
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph byYoko Miyaji
posted2020/04/28 11:00
より上のレベルのバスケットボールを知ることで、さらに好きになる……林真帆の挑戦は始まったばかりだ。
最初は積極的ではなかったが……。
18歳にして世界の同年代と対峙した林だが、ここまでのキャリアは、母に背中を押されながら、一段ずつ階段を上るように歩んできた。着実でありながら、節目節目では新しい世界に飛び込む逞しさもあった。
バスケットボールを始めたのは小学校3年の秋。バスケットボールをしていた母の勧めでミニバスのクラブチームに入ったのが最初だった。
当の本人は、実は最初はあまり気が進まなかったという。ところが、行き始めたら、すぐにその魅力にはまった。その頃からシュートが好きで、熱心に練習し、どんどん自信をつけていった。Wリーグの試合をよく見に行き、なかでもトヨタ自動車アンテロープスのシューター、栗原三佳のプレーをよく見て、参考にしていたという。
中学は地元、神奈川の中川中学に進学。バスケ部は特に強かったわけではなく、全国大会どころか、県大会にも出られなかった。そのため、強豪高校から勧誘されることはなかった。それでも、強い学校でプレーして、もっとうまくなりたいという向上心があった。高校のほうから勧誘がないからと諦めるのではなく、自分から電話をかけて頼み込んだというから、意外と積極的だ。
「自信はなかったんですけれど、中学のときは負けてばっかりだったんで、勝ちたいとか、もっとうまくなりたいっていう気持ちがありました」
岐阜女子高校を選んだのは母の勧めだったという。
「母から『ここどう?』って勧められて。最初は行く気がなかったんですけれど、練習に行ったら、すごく雰囲気もよくて。すぐに、ここでバスケットやりたいなって思って、決めました」
強豪高校へ進学し、2年からレギュラーに。
岐阜女子高校はインターハイやウインターカップで毎年のように優勝争いに絡む強豪校。そのなかで自分の力が通用するかどうかということはまったく考えず、ただただ直感で決めたのだという。
入ってみると、まわりの選手のレベルも練習量も、中学までとは全然違った。大変だったが、と同時に、そういう環境でやれることが楽しかったという。
メンバーは40人前後と多く、ベンチにすら入れない選手が大半だったため、試合ごとにベンチ入りのメンバーが読み上げられた。林は1年のウインターカップで初めてベンチ入り。2年になるとすぐに試合に出るようになった。持ち味のシュートだけは、誰にも負けないという自信はあったという。