甲子園の風BACK NUMBER
センバツに懸けていた智弁和歌山。
「悲劇のヒーロー」にはならない。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byNoriko Yonemushi
posted2020/04/01 11:50
センバツ出場が決まった時の智弁和歌山メンバーたち。彼らのやるせなさはいかほどか。
「悲劇のヒーローにはならないでおこう」
一歩一歩、チームは段階を踏みながら、センバツへと向かっていた。
しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響は、学生生活やスポーツにも及び、3月11日、史上初のセンバツ中止が決定した。
知らせを受けた中谷監督は、選手たちにどう伝えるべきか逡巡したが、情報をありのまま伝えた上で、あえて突き放すような言葉をかけたと言う。
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「ここで悲劇のヒーローにはならないでおこう、と言いました。逆境に立たされた時にどうするかという人間性を見られてるんやぞ、逆境に強くて前向きな智弁和歌山らしい行動はどういうものかを考えてほしい、ここで這い上がるんやぞ、ということを伝えました」
忘れられない表情を見せた2人。
その時、中谷監督にとって「忘れられない表情をしていた」というのが、綾原と捕手の宇井治都だった。
「奥歯をぐっと噛み締めているような……。泣きたいのか、叫びたいのか、でも上級生として取り乱しちゃいけない、と何とも言えない複雑な表情でした。これが事実だと受け入れるために、必死で戦っていたのかなと」
綾原は、秋の近畿大会智弁学園戦の1回の守備で、打球が右目付近に直撃し、5カ所を骨折する大怪我を負った。手術と入院を経て、12月から練習に復帰。「恐怖心はない」と話していた。
「怪我から復帰して、やってやろう、センバツでまた元気な姿を見せてやろう、という思いが強かったんじゃないか」と中谷監督は慮る。
宇井は昨秋、近畿大会で正捕手の座を1年生の石平創士に奪われた。そこからは、積極的に投手陣とコミュニケーションを取り、帰ってからも配球の勉強をするなど、正捕手の座を取り戻すため必死だった。センバツで雪辱を果たしたいという思いが人一倍強かったのだろう。
チームは3月12日から自主練習となり、24日から通常の全体練習を再開した。「心の内はわかりませんが、みんな、前向きに明るくやっています」と中谷監督は言う。
1人1人がそれぞれの思いを胸にしまい、それをぶつける舞台に向けて、前に進み続ける。