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センバツに懸けていた智弁和歌山。
「悲劇のヒーロー」にはならない。 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph byNoriko Yonemushi

posted2020/04/01 11:50

センバツに懸けていた智弁和歌山。「悲劇のヒーロー」にはならない。<Number Web> photograph by Noriko Yonemushi

センバツ出場が決まった時の智弁和歌山メンバーたち。彼らのやるせなさはいかほどか。

エース小林は毎日奥川の映像を見続けた。

 徳丸は新チームでも4番を任されたが、最初は夏を引きずっていたという。秋季大会中も、どこか考え込んでいるような表情だった。

 しかし今年2月にグラウンドを訪れた時には、練習中の表情が見違えるように明るく、時々裏返るぐらい大声を張り上げてチームに活気を与えていた。調子が上がったせいかと聞くと、「まだ上がってきてないです」と言う。

「でも、ちょっと変わろうかなって、意識してます。やっぱり静かに、おとなしくやっててもダメなので。細川さんが内野に行ったので、今は外野では、僕は引っ張らないといけない立場なので」

 下級生ながら、外野の核になろうという意気込みが頼もしかった。

 上半身に頼りすぎず、下半身を意識してスイングすることを心がけるようになってから、徐々に手応えもつかめてきていると語っていた。心の充実とスイングの手応えが、春、どのように実を結ぶのか、注目したいと思っていた。

 秋季大会で不調だったエースの小林樹斗も、その後、体幹を鍛え課題だった制球力が向上。「春はいけます」と自信をのぞかせていた。夏の星稜戦の翌日、中谷監督に、「昨日の試合5万回見ろ。奥川のピッチング見て勉強しろ」と言われていたが、冬場は本当に毎日、奥川の映像を見たという。

黒川、東妻の寄付などで内野が黒土に。

 グラウンドには1月、ショベルカーが入って白い土を掘り起こし、代わりに内野に黒土が敷かれた。今年プロ入りした黒川と東妻純平の寄付もあって実現したという。「守りやすい」「甲子園に近い感じがする」と選手たちは声を弾ませた。前年には、同じくOBでプロ入りした東妻勇輔(ロッテ)、林晃汰(広島)が部室などを寄贈していた。

 二塁手の綾原創太は、「設備だけどんどんよくなっていって、僕らの結果が伴っていないので、しっかり結果を出したい」と意気込んだ。

 2月中旬には、中谷監督が選手全員を集めて、センバツのベンチ入りメンバー18人を発表した。名前を呼ばれた選手は「ハイ」と表情を引き締め、呼ばれなかった6人の中には悔し涙を流す選手もいた。

【次ページ】 「悲劇のヒーローにはならないでおこう」

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