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ボスニア・ヘルツェゴビナ、紛争から25年。
分断した民族を繋ぐ“日本の運動会”。 

text by

熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

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photograph byJICA

posted2020/03/12 11:00

ボスニア・ヘルツェゴビナ、紛争から25年。分断した民族を繋ぐ“日本の運動会”。<Number Web> photograph by JICA

みんなでスポーツを楽しむ運動会。

 こうした研修を重ねる中で、日本の保健体育のエッセンスが徐々に同国の授業に取り入れられるようになった。日本には子どもが授業を振り返って記入する「学習カード」があるが、これもBiHに取り入れられようとしている。運動が得意な子だけが活躍する体育から、抜け出しつつあるのだ。

 辻さんが注力したのは、保健体育の授業だけではない。20数年前、クロアチア系とボスニャクが血で血を洗う抗争を繰り広げたモスタルで、彼女は両民族が参加する運動会を実現させた。

 両民族が川を隔てて暮らすモスタルでは、水道公社やバス会社などすべてが民族ごとに分かれていて、真の融和には程遠い。

 市唯一のスポーツ協会は、サッカー大会などを行うことはあるが、やはりここでも得意な子どもだけが参加し、「みんなでスポーツを楽しむ」という発想はなかった。

 それならば、ということで辻さんは、誰でも簡単に参加できるレクリエーションとして運動会を提案したのだ。

「障害物競走、綱引き、玉入れ、二人三脚。道具はすべて現地で調達しました。大玉転がしだけは準備できずに断念しましたが」

奇跡の一枚が意味するもの。

 モスタル市の24校中14校が参加した運動会は信じられない盛り上がりを見せ、最後に参加者全員で記念撮影が行われた。

 それは奇跡の一枚となった。

 紛争を経験した親の世代には、自分の子を他民族の子と一緒に遊ばせる発想はなかった。運動会が不可能を可能にしたのだ。

 昨年10月、任期を終えて帰国する辻さんに関係者がこんな声をかけたという。

「きみとJICAがいなくなっても、運動会は続けるからな」

 スポーツの力によって、BiHの人々は過去の痛みを乗り越えようとしている。

企画協力:国際協力機構(JICA)

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#辻康子

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