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東京V永井監督が招いた“吉武先生”。
35年対話を重ねた師弟のサッカー。
posted2020/01/30 11:30
text by
海江田哲朗Tetsuro Kaieda
photograph by
Tetsuro Kaieda
中学最後の年、その春に赴任してきた20代半ばの青年教師が少年の未来を変えた。
青年は数学を担当し、サッカー部の監督に就任する。放課後、練習を終えたあと、学校のすぐそばにあった少年宅で家族と一緒に晩御飯を食べ、部屋で数学の教科書を開いた日もあった。少年は数学的な思考を苦手としていた。
時は昭和。学校教育の現場におけるモンスターペアレンツ、パワハラ、セクハラなどという言葉は影も形もない、のどかな時代である。
少年の名を永井秀樹。青年は吉武博文という。
「数学の勉強をしつつ、どうしても好きなサッカーの話がしたくなり、脱線することが多々ありましたけどね。成績はちゃんと上がったんじゃないかな、たぶん」
と、東京ヴェルディの永井監督は当時を回顧する。
永井の3年次、吉武が監督に就任した初年度の明野中は、夏の全国中学校サッカー大会で優勝。大会の有史以来、ベスト4に一度入っただけの大分勢が、初めて全国の頂点に立った。
スパルタが横行していた時代に。
吉武の指導スタイルは毛色が違っていた。鍛えてなんぼのスパルタが横行していた時分、数学教諭らしく説明に根拠があり、ロジカルだった。
ふたりがともに過ごしたのは、たったの1年だ。それゆえ濃密な時間だったことが想像される。永井が長崎の国見高に進んだ以降も、関係は途絶えることなく続いていった。
やがて永井はJリーグの花形選手となり、一方、吉武はアンダーカテゴリーの日本代表を率い、育成年代のスペシャリストとしての地歩を固めた。
吉武は言う。
「あれから30年以上経ちますが、常に連絡を取り合い、1週間以上空白があったことは一度もないですね。次第に教師と教え子、指導者と選手という関係を超え、サッカーを研究する仲間のようなものになった」