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悲願のトップリーグ初勝利を目指して。
三菱重工ダイナボアーズと土佐誠主将の挑戦。 

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雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

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photograph byHideki Sugiyama

posted2020/01/10 11:00

悲願のトップリーグ初勝利を目指して。三菱重工ダイナボアーズと土佐誠主将の挑戦。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

土佐主将の下、チームは12年ぶりのトップリーグに挑む。

戦う集団に戻れなかった悲しみ。

 再始動後も150人近い部員の事件やラグビーに対する思いはさまざま。渦中で主将を任された土佐がいくら奔走しても、簡単には戦う集団に戻れなかった。

「当時はラグビーができるかできないかの段階で、優勝を目指すような状態ではありませんでした。誰が悪い、誰がやったんだ、それが分からないと俺はやらないという選手もいた。キャプテンとして誰の思いを汲めばいいのか分からなくなっていました。みんなをハッピーにできたらと思って走り回っていたけど、なかなかそれも難しかったですね。いま思えば、『もう一度ラグビーをする』というチームの方向性に賛成できない人まで追いかけるべきではなかった」

 大学ラグビーに一時代を築いた『カントー』の面々だが、土佐の世代は今も同期会などで集まることができていないという。

エディー体制の初合宿で見舞われた不運。

 19歳のときにはU23日本代表に選出され、2012年にはエディー・ジャパン体制最初の合宿のトレーニングスコッドにも選ばれた。ところが、ここでも不運に見舞われた。

「ジャパンのトップチームの合宿に呼ばれたよと言われて、その次の日に初めててんかんの発作が起きて倒れたんです」

 チームメイトの田村優らと食事に出かけ、戻ってきてからシャワーを浴びている最中に目が眩んだ。「少し飲みすぎちゃったかな」。そう思って次に気がついた時には、田村に付き添われて救急車に乗っていた。

 てんかんは脳の慢性的な疾患である。投薬で症状を抑えるのが一般的だというが、土佐の発作はそれでは収まらなかった。ラグビーでの激しいコンタクトは禁物。グラウンドの外で仲間の練習を見ていることしかできなくなった。

 フィジカルトレーニングもままならず、110kgの体重はみるみる80kg台まで落ちた。医師からは開頭手術を受ければ復帰できるとの提案もあったが、「頭を開けてまでラグビーをやりたくない」と簡単には受け入れられなかった。

【次ページ】 引退がよぎる中で支えになった同僚。

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