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故郷で巡る“笑わない男”の少年時代。
ガッキー伝説はやっぱり凄かった。
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph byYusuke Ohashi
posted2019/12/26 11:50
幼稚園時代の稲垣啓太。この頃、ホッピングで幼稚園の床を破壊したという。
リンゴを握りつぶす中学生。
中学時代の稲垣啓太はデカいだけでなく、その力も半端なかったらしい。吉原さんは相撲の北陸大会で優勝を争うほどの力自慢だったが、唯一人稲垣啓太だけには勝てなかったそうだ。
「あ、そうだ、そうだ、リンゴ、リンゴ」
大橋さんは突然リンゴの話を始める。
「にいつフードセンターって地元のスーパーなんすけど、リンゴ売ってて。俺ら啓太をちょっとからかったんです。啓太ぁ、リンゴうまそうだなあ、食べてえなあ、でもリンゴって皮剥かなきゃいけないしなあ、って。
そしたらあいつ、リンゴを手に持つといきなりパシンって握りつぶしたんです! これで食べれるよ、って(笑)。そんでそのあと潰したリンゴ持ったままレジ行って、真面目な顔で、すみませんこのリンゴください(笑)」
リンゴよ、お前はもう潰れている。これはもうほとんど北斗の拳レベルの話ですね。
商店の“ツケ”を溜めに溜めて。
愉快な2人組のこぼれ話の次に登場するのは、ガッキーがラグビーをはじめたクラブチームのヘッドコーチ、そして中学、高校を通じて彼のラグビー仲間だった2人。本誌の記事はこう続く。
~~翌日の午後3時、僕は越後線白山駅で普通列車を降り、新潟商業高校の斜め前にあるブルドックという名の洋食屋で3人の男性から話を聞いている。一番年長の小林和則は、ガッキーが中学3年生のとき所属していたラグビーチームのコーチを務めていた人物だ。残りの2人栗山昂繁と原田海人はガッキーのチームメイトとして中学、高校時代を共にプレーした~~
栗山さんは今はもうなくなってしまった「ババ店」の話を始める。
「新潟工業高の校門の前に『渡辺商店』っていうお店があったんですおばちゃんがやってるから、“ババ店”って呼ばれてて」
小林さんが、その店はずっと昔、自分が高校生の頃からあって、ツケの利く店だったのだと教えてくれる。
「店のおばちゃんがノートに、誰だれいくら、誰だれいくら、ってずっとつけていて、ラグビー部を卒業する時に一気に払っていくんです。生徒は現金持ってないことが多かったから、本当にありがたかったなあ」
アイス、ジュース、パン、お店にはなんでも売っていた。
「揚げ物もおばちゃんが揚げていて、ハムカツ、ささみ、から揚げ、メンチカツとかありました」
ラグビー部の部員は2年生になるとその店に入っていい決まりになっていた。
「稲垣はめっちゃつけてましたね」
そう教えてくれたのは原田さんだ。
「チームでナンバー1、店の奥にある3人がけのベンチに座って入り浸って、ツケを溜めに溜めてました。ベンチの横に揚げ物を置いた台があるんですけど、稲垣はちょっと腹が減ったら、『おばちゃん、から揚げくうよ』って、そのままそこで食べちゃう。みんな大体、袋に入れて外で食べるんですけどね」
巨体の稲垣啓太がそのベンチの端に座ると、後には半人分の小さなスペースが残るのみ。他の部員は稲垣の横で横向きに座ると、ベンチが接する壁に開いた窓から脚を外に投げ出して、肩身の狭い思いをしながら揚げ物を頬張っていたそうだ。
そういえば、と栗山さんは続ける。
「あいつは部室も一番手前の端っこでした。やっぱプロップだから、端っこが好きなんですかね(笑)」