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死せるラウダ、メルセデスを走らす。
今もチームに残る偉大なスピリット。
posted2019/12/22 20:00
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph by
AFLO
2019年シーズンのドライバーズ選手権とコンストラクターズ選手権を制したメルセデス。コンストラクターズ選手権の6連覇は、'99年から'04年にかけてF1を席巻したフェラーリに並ぶ史上最多タイ記録だ。
しかし、メルセデスは以前から常勝軍団だったわけではない。現在のメルセデスがブラウンGPを買収して、いわゆるワークスチームとしてF1への参戦を開始したのは'10年。
そのステアリングを託されたのは、フェラーリを6連覇に導いた皇帝ミハエル・シューマッハーだった。
メルセデスはチャンピオンを獲得して撤退した'55年以来、55年ぶりの復活。'06年に一度引退していたシューマッハーは4年ぶりの復活。かつて栄光をつかんだ者同士のタッグに、多くのファンは胸を躍らせた。
だが、栄冠を取り戻すための道程は、長かった。'10年と'11年をコンストラクターズ選手権4位で終えたメルセデスは、'12年にさらにポジションを1つ落として5番手となる。結局、シューマッハーは復帰後1勝もできないまま、この年限りで再び引退した。
ハミルトンに白羽の矢を立てたラウダ。
そのメルセデスを変えたのが、'12年に非常勤会長として加わったニキ・ラウダだった。
ラウダはメルセデス復活のために、ルイス・ハミルトンに白羽の矢を立てる。当時ハミルトンが所属していたマクラーレンはレッドブル、フェラーリとともにトップ3を形成していた強豪。'10年の復活後、わずか1勝しかしていなかったメルセデスへのハミルトンの移籍には、だれもが首を傾げていたものだった。
ラウダはさらに、DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)でメルセデスのチームを運営する「HWA」の株主であり、F1ではウイリアムズの役員を務めていた敏腕、トト・ウォルフをチーム代表として招聘。マネージメント体制にもメスを入れた。