F1ピットストップBACK NUMBER
死せるラウダ、メルセデスを走らす。
今もチームに残る偉大なスピリット。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byAFLO
posted2019/12/22 20:00
2014年、在りし日のラウダとハミルトン。この年から偉大な連覇の記録がはじまった。
「こんなとき、ニキならどうする」
果たして、ラウダの改革は2年後の'14年に実を結ぶ。メルセデスはドライバーズ選手権とコンストラクターズ選手権のダブルタイトルを獲得。今季まで連覇を重ねる常勝軍団へとチームは成長していった。
その礎を築いたラウダが'18年に病に倒れ、'19年の5月に還らぬ人となった。精神的な支柱を失ったメルセデス。しかしそんな苦境でチームを支えたのも、やはりラウダだった。
ラウダが亡くなった直後に行われたモナコGP。ポールポジションからスタートしたレースで、ハミルトンはピットストップの際にライバルたちとは異なるタイヤをチームが選択したために、トップを走行しながらも、レース終盤にマックス・フェルスタッペンの猛攻に遭い、防戦一方となる。
「このタイヤは間違った選択だ。このタイヤで走り続けられたら、奇跡だ」(ハミルトン)という絶体絶命ともいえる状況で、ハミルトンの脳裏に浮かんだのがラウダだった。
「こんなとき、ニキならどうするんだろうと自問しながら、とにかく集中力を切らさず、ミスをしないよう、持てる力を最後まで振り絞った」というハミルトンはフェルスタッペンとの激闘を制し、メルセデスに開幕6連勝をもたらした。
トロフィにかぶせた赤い帽子。
チーム代表のウォルフにとっても、'19年は特別なシーズンとなった。
「ニキは私にとって、最大の理解者だった。彼を失ったいまも、彼のことを忘れたことはない。いまでも『ニキなら、こんなときどうするだろうか?』、『ニキなら、どんなアドバイスをしてくれるだろうか?』と考えながら、レースを戦っていた」と言うウォルフは、ラウダ
亡き後、彼のトレードマークだった赤い帽子を常にグランプリに持ち歩いていた。
そして、日本GPでメルセデスはコンストラクターズ選手権6連覇を達成。ウォルフは誇らしげに赤い帽子を選手権優勝のトロフィにかぶせた。
「このチームに加入して、新しいチャレンジを始めたとき、私はニキと『いつの日か常勝軍団になろう』と誓い合った。そして、いまその夢は実現した」(ウォルフ)