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ロナウジーニョは裕福、マルタは?
ブラジル2大名手の少年少女時代。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2019/12/22 19:00
ブラジルが誇る男女サッカーの2大スター、ロナウジーニョ(左)とマルタ。ただ2人の経歴は大きく違う。
母親に隠れてボールを蹴った理由。
一方、マルタはアラゴアス州内陸部の農村で生まれた。
4人きょうだいの上から3番目だったが、1歳のときに父親が妻子を捨てて出奔。学歴がなく手に職もない母親は掃除婦として働いたが、子供たちも路上で食べ物や飲料を売ったり市場で働いたりして家計を助けた。
そのような苦しい日々で、マルタにとって唯一の喜びとなり、生きる支えとなったのがフットボールだった。
6歳のとき、いとこたちとボールを蹴り、たちまちその魅力に取り憑かれた。しかし、当時のブラジルでは「フットボールは男のもの」という考え方が強く、保守的な農村であればなおさら。女の子がフットボールをすることはタブーであり、マルタが男の子たちとボールを蹴っていると“オトコ女”と嘲笑された。
本人のみならず母親にも、周囲の人々から「娘がフットボールをするのは見苦しいから、やめさせなさい」と圧力がかかる。このため、マルタは母親に隠れてボールを蹴った。
13歳のとき、市が開催する少年フットボール大会に参加して活躍したが、ライバルチームの監督から「女子は参加してはいけないはずだ」とクレームが入る。マルタは以後の大会に参加できなくなり、「どうして私から大好きなフットボールを取り上げるの?」と思うと涙が止まらなかった。
しかし、このようなつらい出来事があっても、マルタは怯まなかった。逆に、「神様が自分にフットボールの才能を与えてくださったのだ。もっと広い世界へ出て、フットボールで身を立てよう。貧困と古臭い因習から抜け出そう」と決意する。
16歳でセレソン、偉大な功績の数々。
そんな少女に、千載一遇のチャンスが舞い込んだ。
14歳のとき、リオの名門ヴァスコダガマの女子チームの入団テストを受けることができたのである。クラブ関係者を驚かせる技量を発揮し、見事に合格。リオ州選手権で活躍し、年齢別代表を経て2002年、16歳でセレソンに初招集される。
その後は、スウェーデン、アメリカなどのクラブで主力として活躍し、セレソンでも絶対的な存在となる。2004年アテネ五輪と2008年北京五輪で銀メダルを獲得し、2007年W杯でも準優勝。2006年から2010年まで5年連続、さらに2018年の計6回、世界年間最優秀選手に選ばれている。