サムライブルーの原材料BACK NUMBER
J3昇格、今治・岡田武史の本音(上)。
「田舎のプレスリーではいけない」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2019/12/16 19:00
日本サッカーの「型」を作るため、2014年11月にFC今治のオーナーに就任した岡田武史氏。
「上がれよ」ではなく「上がるぞ」。
「1年前に俺が挨拶したとき、罵声やブーイングが挙がらなかったんだよ。厳しい声が飛ぶだろうなっていう覚悟はあった。でも逆に、ファン、サポーターの人から激励の言葉をいただいた。
それも『来年は上がれよ』じゃなくて、『来年は上がるぞ』って。『上がるぞ』というのは自分も一緒になって頑張るってこと。それが凄く嬉しかったね。
2019年はどんなことがあっても昇格しなきゃいけなかった。同じ失敗をもう1回起こしては絶対にダメ。もう最後(のチャレンジ)だぞっていう気持ちだったね」
吉武監督解任の衝撃。
JFL昇格のストーリーを描くには、昨年の苦闘を切り離すことはできない。
8位となかなか上位をうかがえないシーズン途中の6月下旬に、吉武博文監督を解任したことは周囲に衝撃を与えた。
というのも、アンダーカテゴリーの日本代表を率い、2011年のU-17ワールドカップでベスト8に引き上げた吉武を迎え、シェアハウスに同居して日本人に合ったプレーモデルをつくる「岡田メソッド」を一緒につくり上げてきた盟友であったからだ。
メソッド事業部長から2016年にトップチームの監督を任せたが、結果を出すことに苦しんだ。
「吉武を切るのはもの凄く悩んだ。我々のスタイルを追求して、本当にやってくれていた。だが結果が出なかったらお客さんは認めてくれないし、選手たちも俺の目から見て活き活きとプレーできていないように思えた。
監督が悪いということじゃない。次に向かうタイミングだと思ったし、もうここは決断しなきゃいけないってね」
言葉で表現できないほど、苦渋の決断であったことは言うまでもない。「お前と一緒に組んですごいチームをつくりたい」との誘い文句で招き入れ、惚れこんだ指導者を切らなければならない非情を、岡田は選択したのだった。