“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
北九州J2昇格の“エンジン”高橋大悟。
清水を離れ、先輩の言葉を胸に。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2019/11/28 20:00
清水から育成型期限付き移籍で北九州にやってきた高橋大悟。夏の加入後、すべての試合に先発出場するなど、J2昇格に大きく貢献した。
成長を妨げる「プライド」。
レンタル先で成長を遂げ、チームのJ2昇格に貢献。この躍動に「J1からJ3に来た選手なのだから、これくらいの活躍は当たり前」と思う人もいるかもしれない。だが、カテゴリーを2つ落としたから簡単に活躍できるほど、Jリーグは甘い世界ではない。
カテゴリーを落とすからこそ、彼らの中で立ちはだかる壁がある。その1つが「プライド」だ。どこかで「自分はJ1のチームでやっていた」という気持ちが邪魔をして、カテゴリーが落ちた自分を受け入れられず、成長を妨げてしまう。
特に高卒ルーキーなどの育成型期限付き移籍の場合、期間が短いこともあり、言い方は悪いが「腰掛け」という位置付けになっていることもあるだろう。ましてやそれが2カテゴリー下であれば、なおさらかもしれない。
加入当初は目新しさもあって、試合で使われることも多いかもしれない。だが、そんなプライドが邪魔していれば、月日が経つごとにそれを見透かされてしまうし、チームにアジャストするのは難しいだろう。
では、高橋はどうだったのか――。
高橋に響いた“経験者”の言葉。
「最初は怖かったんです」
讃岐戦後のミックスゾーンでこう口を開くと、素直な思いを語り続けた。
「僕はもうやるしかないという思いで来ました。ですが、逆にこんなに多く試合に出られるとは正直思っていませんでした。それは『カテゴリーを下げたからと言って、簡単に出られるわけではないよ』と清水の先輩たちに言われていたからです。『すべては自分次第だぞ。そこで落ちたら終わるし、覚悟を決めてやれば這い上がれる』と重みのある言葉をもらっていました。正直、最初はその言葉が物凄く怖かった。だからこそ、強烈な危機感を持ってここに来ました」
そんな言葉を送った主は、鎌田翔雅、中村慶太、金子翔太らJ1へ這い上がってきた選手たちだった。
鎌田はJ2でプロキャリアをスタートさせ、プロ6年目で初めてJ1を経験するも、翌年にはJ2ファジアーノ岡山で1年間プレー。2015年に清水にやってきた。中村は大卒からJ2のV・ファーレン長崎でプロキャリアをスタートさせ、プロ3年目で清水へ個人昇格を果たした。金子は高卒で清水に加入するも、プロ2年目の2015年シーズン途中にJ2の栃木SCに育成型期限付き移籍。半年間のプレー経て、清水に復帰している。
苦労を重ねた結果、現在に至っている3人。そんな経験者の言葉には重みがあった。