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3度のKO負けから再起の八重樫東。
「試合がしたくなくなったら終わり」
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byTakashi Shimizu
posted2019/11/15 18:00
キャリアで喫した3つのKO負けの記憶は、今も八重樫東の頭の中にしっかりある。それでも、戦う気持ちは残っていた。
何カ月も練習しなかった日々の記憶。
未来に想像をめぐらせていたはずの八重樫は、いつしか過去の記憶を手繰っていた。いうなれば“疑似引退”のような体験を、すでにしていた。
メリンドに1ラウンドKOで負けた後のことだ。勝って防衛を果たせると確信していた試合にあっさりと敗れ、悔しさのあまり練習をすぐに再開した。が、続かなかった。何カ月も練習をしなかった。ボクサーとして生きてきて初めてのことだった。元3階級王者は、限りなく、ただの人に近づいていた。
「そのときの感覚、まだ覚えてるんですよ。練習を続けながら、熱が冷めていくような感じ。そうやってフェードアウトするんじゃないかな」
だが、当時の八重樫は踏みとどまった。次戦までの空白期間は10カ月。「まだ、勝負できるような戦力は残ってるんじゃないか」。背負ったリュックを振ると微かながらに何かが入っている音がした。だから、リングに帰ってきた。
経験と内省に裏打ちされた言葉。
ほぼ1時間にわたったインタビューの間、八重樫の語りに半ば感心しながら耳を傾けた。言葉を持っている。それは多くの場合、苦難に満ちた経験と、そのたびごとの深い内省があったことを示唆する。
「負けて男を上げてきた」と、八重樫自身が言うように、ボクサーとしてのキャリアはたしかに屈折に富んでいる。これも本人が認めるように、生来の天の邪鬼気質が、言い訳も含めてバリエーション豊かな言葉を紡ぐのだろう。
さらに、家族もまた、八重樫の人生の大きな構成要素となっていることは間違いない。2人の子との日常が影響しているのであろう表現を、インタビューの中で何度か使った。
たとえば、やはり引退をめぐる問答の中で、八重樫はこう言った。
「『いままでありがとうございました』ってみんなに頭を下げる。そこまでが、八重樫東ってプロボクサーだと思う。おうちに帰るまでが遠足ですよ。そこまでやれば、『おれもよくがんばったな』って、自分自身、思えるんじゃないかな」