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3度のKO負けから再起の八重樫東。
「試合がしたくなくなったら終わり」
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph byTakashi Shimizu
posted2019/11/15 18:00
キャリアで喫した3つのKO負けの記憶は、今も八重樫東の頭の中にしっかりある。それでも、戦う気持ちは残っていた。
引き際を自分で決められる幸せ。
「でも、自分で決められるってことは幸せだなと思います」
つづけて黒田が発したその言葉は、八重樫の「線引きは自分でする」という言葉と符合する。かつてはよくスパーリングをした2人は、長いキャリアの間に、ともに世界戦の舞台を経験した。
数多のプロボクサーがほとんど選択の余地なくリングを去っていくなかで、現役生活のピリオドの打ち方を自分で決められる権利を得たことは、たしかに幸せなことなのかもしれない。
だが、3分間すら戦ったことがない身としては、彼らはある意味での“死に場所”を探し求め、さまよっているように見えて、切なくもなる。
八重樫から預かってきた3つの質問に対しては、黒田はこう答えた。
「パンチはたしかに固いです。スピードがあるというより、最短距離でまっすぐ飛んでくる感じなのでよけづらい。それに、想像以上のひと伸びがあるんです。ぼくはそれを結構もらってしまいました。ガードも、手でこう(上から)押さえるようにしてみたんですけど、全然動かなくて驚きました」
「嫌いな食べ物を食べにいく感じ」
ムザラネについて、八重樫自身は次のように分析していた。黒田の答えを聞かずとも、多くを言い当てていた。
「強いですよ。見た目以上に強いですよ。頭がちっちゃくて、手が長くて。ガードも高い。ぼくの中では苦手な部類だと思ってます」
そして、また子育て中の父親の顔をのぞかせる。
「変な話、嫌いな食べ物を食べにいくような感じですよね。だからこそモチベーションが上がる。『おれ、ピーマン食えたよ。ちっちゃいころは食べれなかったのに。すげえじゃん』って」
インタビューを終え、パイプ椅子から立ち上がった八重樫は、右腕をぐるぐると回す。年末を楽しみにしている、と声をかけると、にこにこしながら言った。
「はい。やってやりますよ。いいんです、言いたいやつには言わせとけば。厳しい試合にはなるでしょうけど、我慢比べですね。気持ちが折れたほうが負け。そういうの得意なんで、ぐちゃぐちゃにしてやりますよ」
メリンド戦での初回KO負けから長い時間を経て、またボクシングをしようと歩み始めたとき、リュックの中でからからと小さな音を立てていたものは、弁当箱に残ったピーマンだったのかもしれない。そんなふうに考えると、勝手に抱いていた切なさの感情は吹き飛んでいく。
遠足を明日に控えた少年のような明るさで、八重樫は難敵との勝負に挑む。おうちに帰ってくるのがいつになるのか、まだ誰にもわからない。