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東京五輪を内側から撮影する責任感。
組織委員会フォトグラファーの仕事。 

text by

木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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posted2019/08/26 07:00

東京五輪を内側から撮影する責任感。組織委員会フォトグラファーの仕事。<Number Web>

竹見脩吾さん。

最初は、カメラを持たずに話しかける。

 招致活動を記録するための密着もスタートした。意識したのは、人間関係を築くことだった。

「いきなり撮られるとびっくりする人もいる。だから最初はカメラを持たずに話しかけるようにしました。カメラマンであることは伝えるんですけど、大事なのは覚えてもらうこと。コミュニケーションを取ってから撮影するようにしました」

 それによって盟友ができた。招致活動のプレゼンターを務めた北京五輪フェンシング男子フルーレ個人・銀メダリストの太田雄貴だ。

「歳が同じということもあって意気投合し、(2013年9月)ブエノスアイレスのIOC総会で東京開催が決まったときには、雄貴くんが『脩吾だからカメラを向けられても全然嫌な気がしなかった』と言ってくれた。今では雄貴くんが会長を務める日本フェンシング協会に関する撮影も任せてもらっている。国際フェンシング連盟の副会長にもなった彼の背中を見て、自分も世界に出なきゃと刺激を受けています」

「撮られていることをいかに気づかれないか」

 安倍晋三首相のスピーチでも写真が使われ、開催決定の日は竹見にとっても忘れられない1日になった。

「開催決定の瞬間もその場で撮影していて、レンズ越しだったので現実とは思えなかったのですが、部屋に帰ってから実感が湧いてきた。前日までは不安もあったので大逆転の勝利という感じ。この仕事をやってきて、やっぱり一番嬉しかった出来事です」

 あれから約6年、竹見は東京2020組織委員会の活動を記録し続けている。

「携わる人たちの自然な姿を記録したい。撮られていることをいかに気づかれないかが大事です。ただ、1割は影があるようなドラマティックな写真を撮ることを心がけている。ドキッとする写真を1日1枚残していきたいです」

 記録者として、作家として、仲間として、竹見は内側から東京五輪を表現していく。

竹見脩吾たけみ・しゅうご

1985年11月23日、東京都生まれ。写真家の祖父と父を持ち、日本大学芸術学部写真学科卒業後は、カナダ・バンクーバーに渡り現地の新聞社へ。アメリカの通信社「ZUMA PRESS」のフォトグラファーを経て独立。拠点を日本に移し、スポーツ写真撮影を中心に写真教室や講演会の講師としても活動している。'10年から障がい者スポーツを追い続けることをライフワークとし世界各国で撮影。'11年から東京2020招致委員会フォトグラファー、現在は東京2020組織委員会フォトグラファーを務めている。

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