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五輪内定、クライミング・野口啓代。
涙の裏にあった、進退をかける覚悟。

posted2019/08/25 11:40

 
五輪内定、クライミング・野口啓代。涙の裏にあった、進退をかける覚悟。<Number Web> photograph by AFLO

競技後には笑顔を見せながらも、時折こみ上げる喜びを噛み締めた野口。

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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 決意を固めた人間の強さ──そんなことを思わせるパフォーマンスだった。

 8月20日に東京・エスフォルタアリーナ八王子で行なわれたスポーツクライミングの世界選手権、女子複合決勝。野口啓代は銀メダルを獲得し、「全体の7位以内で、日本人最上位」の選考基準により、東京五輪の日本代表に内定した。 

 オリンピックでのスポーツクライミングは、スピード、ボルダリング、リードの3種目の総合成績で争われる。野口は最初のスピードは7位だったが、2つ目のボルダリングで1位。最後のリードで3位、トータルで2位となった。

 白眉はボルダリングだった。人工壁に設置されたコースを制限時間内にいくつ登ることができるかで競うこの種目、野口は最初の課題を「一撃」(課題を一度でクリアすること)するなど、計3課題のうち2つの課題で完登。使用される壁は1つとして同じものはなく、試合前に一度見ることができるだけだ。

大学を中退し、プロに転向。

「どのようなムーブを選択し、身体をどう動かせばいいのか判断しなければならない」(野口)。経験も大きな割合を占めると言われる中での1位は、野口ならではと言ってよかった。

 高いレベルを誇る日本にあって、そのキャリアは一つ、抜けている。

 30歳の野口は小学5年生のとき、海外旅行先で初めてクライミングを経験。その楽しさに魅せられ、競技に打ち込んでいった。

 その後、台頭していった野口は、高校1年生の2005年、初めて世界選手権に出場。2008年には日本人選手として初めてワールドカップ優勝を果たした。

 その後、大学を中退し、プロに転向。

【次ページ】 「クライミングのことだけを考えて生きていたい」

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