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甲子園以外の球場が使われた甲子園。
堀内恒夫は3回戦まで全て西宮球場。 

text by

田澤健一郎

田澤健一郎Kenichiro Tazawa

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photograph byHideki Sugiyama

posted2019/08/21 07:00

甲子園以外の球場が使われた甲子園。堀内恒夫は3回戦まで全て西宮球場。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

甲子園という球場の特別さが大会の価値を支えている部分は大きいが、他球場の使用は選択肢としては現実的だ。

「聖地」への思い入れは大きいが。

 甲子園以外の球場を使用した夏の甲子園もあった――。だからといって、日程緩和のために今すぐ再び複数球場を使用すべき、と言いたいわけではない。大イベント化した現在の甲子園、前述した球場の問題や、「聖地」に対する選手の思い入れなど議論すべき点はある。

 ただ、少なくとも過去に他球場併用の大会があったことは、「やろうと思えばできる」サンプル、検討材料として知っておく価値はある。

 この歴史を知ることは、もう1つの日程緩和策の可能性も示してくれる。過去は1県1代表制ではなく、出場校が現在の半分以下だった時代もあるということだ。

 第39回時、23校だった出場校は、第41回29校、第42回30校、第56回34校、第57回38校、第58回41校と増え続け、1978年の第60回大会から、現在の1県1代表制49校(北海道と東京は2校出場)という形が定着した。

 これを再び出場校を絞り、20校から30校レベル、あるいは16校となれば甲子園球場のみの使用でも余裕ある日程が組める。

日程緩和策にはいろいろな選択肢がある。

 もちろん、球場の話と同様、こちらも一県一代表制が定着した今、いきなりの導入には抵抗が多いだろう。

 地域対抗戦という一面が各都道府県のファンを沸かせている現状を考えると、球場問題以上の反発も考えられる。

 しかし、「歴史的に夏の甲子園は一県一代表制が絶対ではない」という事例は、複数球場使用案と同様、「やろうと思えばできる」日程緩和策のサンプルとしては知っておきたいところだ。

 ちなみに、少子化・過疎化が進む今、各都道府県の地方大会出場校は減少傾向にある。もとより都道府県間の参加校数の差と代表校数は、議論になることもあった。複数の県で代表校1校を争うシステムは、将来的に、この観点からも議論されるかもしれない。

 長い時をかけ、さまざまな変化の道を歩んできた高校野球。かつての甲子園の風景が、現在の我々のヒントになることもある。それもまた1つの「検証」。高校野球が少しずつでも改善、前進するために、検討材料はいくらあってもいいはずだ。

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