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15勝カルテットと短期決戦の罠。
アストロズはジンクスを破れるか。
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byGetty Images
posted2019/08/17 08:00
ジャスティン・バーランダー(一番右)を中心としたアストロズ先発4本柱はホームラン量産時代の流れを止められるか。
「20勝カルテット」を擁した2球団。
この年の数字は、マダックス=19勝、グラヴィン=16勝、スモルツ=12勝、エイヴァリー=7勝、ケント・マーカー=7勝と意外に地味だ。ただ、精密機械の名をほしいままにしたマダックスが、防御率1.63の数字を残し、奪三振181に対して与四球23という超絶的な投球を見せていたのは記憶に新しい。黒星わずかに2個、という結果も当然の、頭抜けた投球術だった。
近代野球史を振り返ると、「20勝カルテット」を擁したのは、わずか2球団しか存在しない。1920年のホワイトソックスと、71年のオリオールズだ。
「ブラックソックス・スキャンダル」の翌年に。
すぐにお気づきのことと思うが、このときのホワイトソックスは、「ブラックソックス・スキャンダル」と呼ばれる1919年の「ワールドシリーズ八百長事件」を起こした直後のチームだった。4人の20勝投手のなかには、'19年の主戦投手エディ・シーコット(36歳)も含まれている(年間303回3分の1を投げて、21勝10敗)。これは、彼が最後に咲かせた花だった。翌'21年8月、コミッショナーの裁定で、シーコットは球界を永久追放されている。
残る3人は、レッド・フェイバー(23勝)、レフティ・ウィリアムズ(22勝)、ディッキー・カー(21勝)だ。カーを除くと、投球回数は300イニングス前後に達する。当時はそれが普通だった。これだけの先発投手陣を擁しながら、ホワイトソックスは首位インディアンスに2ゲーム差をつけられ、リーグ優勝を果たすことができなかった。
'71年のオリオールズも、ワールドシリーズ制覇にあと一歩届かなかった。マイク・クエイヤー(34歳、左腕)が20勝、パット・ドブソン(29歳、右腕)が20勝、デイヴ・マクナリー(28歳、左腕)が21勝、そして大器ジム・パーマー(25歳、右腕)が20勝。投球回数はクエイヤーの292回3分の1が最多で、さすがに300回を超えた人はいない。