甲子園の風BACK NUMBER
智弁和歌山を変えた中谷仁監督。
捕手・東妻と投手陣で「守る」。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKyodo News
posted2019/08/07 20:00
自らが捕手だった中谷仁監督は、打のイメージが強い智弁和歌山でバッテリーの強化に注力してきた。
監督が手を焼いたキャッチャー東妻。
県大会前から、中谷監督は投手陣に関しては手応えを得ていた。「ずっとピッチャーが課題と言われていたけど、(コーチ就任から)3年間、池田陽佑たちと一緒にやってきて、やっとピッチャーの整備はできてきたかなと。あとは、キャッチャーが彼らをうまく使いこなせるかどうか、というところまでは来ました」と語っていた。
ただ、そのキャッチャー、東妻純平には手を焼いた。
東妻は、強肩を買われて入学と同時に遊撃手から捕手に転向し、ゼロから中谷監督の指導を受けてきた。最初はストッピング、キャッチング、スローイングの練習を毎日マンツーマンで繰り返し、試合では当時の3年生のリードを題材に配球を学んだ。
将来はプロに行きたいと東妻が希望しているからこそ、プロを知る中谷監督は厳しく指導してきた。たとえば、東妻が構えたところに投手が投げきれず打たれたとしても、そこに至るまでの呼び方はどうだったのかなど、捕手の責任を追及する。
「覚悟を持って目指すと言うのなら、僕がプロで経験したこと、最初に苦しんだことを、もう今、ストレスとして与えておいた方が彼の今後のためになるんじゃないかと思うので」と中谷監督。
「あの時はやばかった。どん底でした」
東妻は1年秋から先発マスクを被り、2年春はセンバツで準優勝。ベスト8入りした今春のセンバツでも4番に座って本塁打を放ち、強肩で二塁ランナーを刺すなど存在感を発揮し、プロのスカウトにも注目される存在になった。
しかし中谷監督は、「周りからは少し過大評価されている。まだまだ」と言い続けた。
センバツ後、中谷監督の指導は厳しさを増した。
そんな中、東妻は壁にぶつかった。練習試合や春季大会で大量失点する試合が続き、強肩も不発だった。5月の春季近畿大会1回戦の智弁学園戦では、9失点目を喫した7回途中に代えられた。「あのままではあの回7、8点取られる流れだった。我慢できなかった」と中谷監督。
東妻がイニングの途中で代えられたのは初めてのこと。試合後、東妻は「もう、わからない……」と顔色を失っていた。
「あの時はやばかった。どん底でした」と振り返る。