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勝利剥奪のペナルティにベッテル激怒。
F1レースの裁定はどうあるべきか。 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byGetty Images

posted2019/06/16 17:30

勝利剥奪のペナルティにベッテル激怒。F1レースの裁定はどうあるべきか。<Number Web> photograph by Getty Images

ベッテルはレース後、怒りのあまり自分とハミルトンの順位ボードを置き替えてしまった。

ハミルトンは同情しつつ裁定を支持。

 一方、ハミルトンは「仮に僕が同じようにミスしても、ポジションを守るために同じようなドライビングをしていただろう」とベッテルに同情しつつも、「ただ、あそこで僕はブレーキをかけなければならなかったほど危険な状況にいたことは事実だ。もし僕が回避しなければ、僕たちはクラッシュしていただろう」とスチュワードの裁定を支持した。

 この世界にはルールがあるが、そこでは人によって異なる見方、解釈が起きる。だからこそ、ルールを巡って争いが起きたときは、それを裁く人間が必要となる。ただし、どのような裁定が下されても、万人が納得することは事実上、不可能だ。

 元F1王者でテレビ解説者として会場に来ていたジャック・ヴィルヌーヴはこう主張した。

「今回の一件はセバスチャンの故意のブロックではなく、ミスだった。むしろ事故を避けるべきは後方で確認していたルイスのほうだった。アクセルを緩めることもできれば、セバスチャンとは反対側のインサイドに進路を変えることだってできたはず」

裁定に欠けた一貫性と透明性。

 一方で「たとえ故意ではなかったとしても、このインシデントはベッテルがミスしたことに起因し、それによって結果的にハミルトンの進路を妨害したわけだから、“コースを外した者は安全にコースに復帰しなければならない”というルールによって裁かれるのは当然のことだ」と、異なる見解を示すレース関係者もいることも事実だ。

 だが、今回の一件に不満を感じる原因は、スチュワードの裁定そのものにあるわけではない。裁定に一貫性と透明性が欠けていることにあるのだ。

 例えば2016年のモナコGPでも、トップを走るハミルトンがシケインをショートカットしてコースに復帰し、2番手を走るダニエル・リカルド(当時レッドブル)とあわや接触というインシデントを犯していたが、このときはお咎めがなかった。

 スチュワードはレース毎に複数の者がFIA(国際自動車連盟)によって選ばれるため、同じようなインシデントでも異なる人間が異なる裁定を下すことがこれまでにも多々あった。それでは自分に不利な裁定を下された場合、ドライバーが納得できないのは当然だ。

【次ページ】 データを公表してもいいのでは。

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ルイス・ハミルトン
セバスチャン・ベッテル

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