マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
現在の野球界の民度を信じてみたい。
球数制限の方針を学校が宣言しては?
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2019/06/15 09:00
球数制限で公式戦の試合数は減らせるが、練習試合などで投げ過ぎたら元も子もない。当事者の意識を変える必要があるのだ。
「考える力」がない人のための方法。
何事でもそうだが、上のほうで「こうしなさい!」と号令をかけられて、「はーい」と右へならえ……というのは、民度の低い社会の常套手段であろう。
くだいて言えば、幼稚園や保育園の現場ではよく見る光景だが、どうだろう、大学のキャンパスでこういう場面はあまりないんじゃないか。最近の大学ではありがちなのかもしれないが、心情としてあまりあってほしくない光景には違いない。
社会を構成するものたちに「考える力」がなく、「決める力」がなく、「抑制する力」も「限界を感じる力」もない場合、お上からの号令は必要になろう。
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時が中世ならば、このほうが都合がよかったのかもしれない。
しかし、今は違う。
高校野球という社会を構成する民のすべてに、「考える力」も「決める力」も「抑制する力」も「限界を感じる力」も十分に備わっていると信じる。
チームを構成する大人と選手の合議のもとに決した、納得ずくの「球数制限」ないしは「球数無制限」。それぞれのチームが選択した方針で、部活動を進めていく。
この方法に、私はなんらの「違和感」も抱かない。
大人と選手の相手任せが今を招いた。
肝心なのは、現場を預かる大人が選手の体調を気にかけながら練習をし、試合に臨もうとする意識と、それ以上に選手本人が自分自身の体調に責任を持つという当たり前の意識だろう。
そもそも、夏がべらぼうに暑くなってきたことと共に、このあって当たり前の意識をないがしろにし、お互いに相手任せにしていたことから生じた「球数制限問題」である。
幸い、「球数」が話題に上がるようになってからの野球の現場では、選手の体調を気づかう言葉が指導者たちから発せられるようになってきた。
たとえば、練習試合が続いた後の月曜をオフにして心身のケアやケガの治療にあてるチームも増えてきた。「トレーナー」という職分の人が、選手たちの健康管理をするチームもポツポツ出てきた。