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相撲のビデオ判定はあくまで「目安」。
ハイテク偏重の前にあった先人の知恵。
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph byKyodo News
posted2019/06/12 11:30
令和時代最初の大相撲夏場所。13日目。物言いがつき審判の協議を見守る朝乃山。軍配差し違えで栃ノ心を破った。
映像は必ずしも真実を映し出すとは限らない。
ある方角からは足が出たように見えるが、別の方角からは残って見えるというのはよくあることだ。また、審判経験の長いある親方は「蛇の目の砂がわずかにえぐれたぐらいでは、上からの映像では映らないこともある」と語る。つまり、映像は必ずしも真実を映し出すとは限らないのだ。
くだんの一番を「令和の大誤審」だと声高に叫んだり、審判部を批判する人たちも、所詮はテレビ映像というフィルターを通してしか見ていないことは指摘しておきたい。
世界のスポーツに先駆けて半世紀も前に大相撲は勝負判定にビデオを採用したが、あくまでも参考程度という位置付けにとどめておいたのは、先人たちの奥深い知恵と絶妙なバランス感覚によるもののような気がしてならず、今にして思えばテクノロジー偏重に陥りがちな現代人への無音の警笛だったのかもしれない。