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渡邊雄太と石川祐希、2人の天才。
「海外を自分で経験することが大事」
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byMari Amita
posted2019/06/04 12:00
世界のトップリーグでプレーする渡邊(左)と石川。シビアな世界だからこそ常に上を目指したいと話す。
パーティーに行く友人を尻目に練習へ。
「最初はとにかく時間を費やすしかないと思っていました。基本的には朝から昼すぎまで授業があって、14時半から練習が始まる。チームの全体練習は2時間程度で、16時半頃には終わるんですけど、そこからチューター(家庭教師)のもと、予習復習をするんです。夕食を摂って、再び体育館に行けるのは21時とか22時。そこから1時間~1時間半なりシューティングして、24時に就寝というのが当時の生活リズムでしたね。
大学生になるとみんなパーティーをしたり、週末に遊びに行ったりするんですが、僕は少しでも時間があるときは1人で練習をしに行ったり、空いた夜の時間をシュート練習に費やしていました。とくに最初の1、2年は必死でした。英語ができないことが不利になるので、そこで差を付けられたくないと思っていました。違和感なく英語ができるなと感じられるようになるまで3年ぐらいはかかりましたね」
NBAの選手になるという明確な目標があったからこそ、誘惑にも負けず、自分がやるべきことをやり続けた。その結果がグリズリーズとの2Way契約に至り、そしてNBAデビューへとつながったのだ。
「自分の実力不足は痛感していますし、昨季を終え、課題は明確になりました。ただ、これまで1年1年、着実にNBAへと近づいてきた。そういった積み重ねをこれからも継続できれば、NBAのレベルでもしっかりとプレーできるという自信はあります」
昨季、グリズリーズで自分と同じ2Way契約の選手がシーズン中に解雇されるという厳しさにも直面し、NBAで生き残るために必要なことも学んだ。
「間近で見て正直不安になることもありますが、プロだからこそ当然だと思いますし、実力が不足していれば切られるというだけ。シンプルに結果を残せば契約は継続されていくわけですから、そこはしっかりと照準を合わせてやっていければと思っています」
石川は海外を全く想像していなかった。
一方の石川は大学1年の冬、短期契約という形でイタリア・セリエAのモデナでプレーした。3年時と4年時には再び同リーグのラティーナと契約し武者修行。バレー界にはめずらしく、大学時代から海外を体感した。しかし、当初は日本代表以外で、“世界”で戦うことを意識していなかったという。
「高校を卒業した頃は、将来、日本代表に入ってプレーするとか、国内で戦えればいいという気持ちでした。そんなときに海外のクラブから声をかけていただくなんて、まったく想像していなくて。
大学1年の時にプレーしたモデナはセリエAで優勝するような強豪クラブだったんですが、そこでの経験が大きかったですね。次はスタメンでプレーしたいとか、いつか世界のトップで活躍したいという思いを少しずつ感じるようになりました」
短期間とはいえ大学時代、毎年のように一定期間を海外で過ごしたことで、少しずつ意識に変化が現れた。また、昨季は、大学を卒業して日本ではめずらしく実業団には所属せず、プロ選手としてイタリアでフルシーズンを戦い抜いたことで、自身のプレーに対する意識はもちろん、代表を引っ張るという自覚や責任感もさらに強くなった。