猛牛のささやきBACK NUMBER
“最後のPL”で騒がれ、そして学んだ。
オリ新人・中川圭太にある太い芯。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byKyodo News
posted2019/05/17 10:30
楽天戦でプロ初本塁打を放ち、ベンチで笑顔を見せる中川圭太。ルーキーながら、現在はスタメンに定着している。
付きまとう“最後のPL戦士”。
メディアが中川の活躍を紹介する時には必ずと言っていいほど、“最後のPL戦士”という肩書きがつく。
中川は、甲子園で春夏合わせて7度の優勝を誇る名門、PL学園高の出身。しかしそのPL学園は、中川が卒業した翌年、2016年の夏の大会を最後に休部となった。東洋大を経て、今年プロ入りした中川は現在、PL学園出身のプロ野球選手の中でもっとも若い選手だ。
しかし“最後のPL戦士”と呼ばれることについては、複雑な表情を浮かべる。
「先輩で野球を続けている方もいますし、プロを目指している方もいるので、自分としては、その先輩たちが嫌な思いをしているんじゃないかな、と。同級生にも野球を続けている子はいますしね」と思いやる。
中川の高校生活は、思い描いていたものとは違っていた。1年生の時、野球部は不祥事が発覚し、半年間の対外試合禁止処分を受けた。その後は野球経験のない校長が監督を務めたため、2年秋からは、主将になった中川が選手兼任監督のような役割も果たし、試合中は攻撃のサインを出したり、投手交代の決断もしなければならなかった。
逆境を乗り越えてきた中川の芯。
そんな状況の中でも、高校3年の夏は激戦区・大阪で決勝まで勝ち進んだ。その夏、甲子園優勝を果たす大阪桐蔭に敗れて甲子園出場はかなわなかったが、あと1歩のところまで迫った。
「監督がいない中で甲子園に行ったる!という強い気持ちを持った選手がほとんどだった。『やったろう!』という感じでした」
逆境に挑み続けた高校時代は、今の中川の芯となっているのだろう。
プロでの目標については、「自分はホームランを打つバッターではないので、安打、打点というものにこだわって、首位打者、最多安打といったタイトルを獲れるような選手になりたい」と語る。
この先も、どんな逆境も力に変えながら、中川はますます太く、強くなっていくのだろう。