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有森裕子と高橋尚子。小出義雄監督が
支えた平成女子マラソン栄光の時代。 

text by

小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byAFLO

posted2019/04/29 08:00

有森裕子と高橋尚子。小出義雄監督が支えた平成女子マラソン栄光の時代。<Number Web> photograph by AFLO

シドニー五輪で金メダルを獲得した高橋尚子に寄り添う小出義雄監督。有森裕子、鈴木博美、千葉真子らも指導した。

42.195kmプラス400mという挑戦。

 2000年のシドニー・オリンピックで高橋さんは日本女子マラソン史上初の金メダルを獲得。努力を成果に結実させた。

 その直後の優勝インタビューで、高橋さんが語ったひと言を憶えている人も多いだろう。

「すごく楽しい42kmでした」

 褒めて育てる指導者と、走るのが大好きなアスリートがタッグを組んだからこそ生まれた、まさしく名言。この言葉がなければ後のランニングブームはもっとささやかなものになっていたかもしれない。

 シドニー五輪を振り返って、高橋さんは今回のインタビューでこうも言っていた。

「一つ心にあったのは、監督に恩返しがしたいということ。すごく弱い私を見て支えてくれた。監督が有森さんと銀と銅を獲っていたから、金だったから喜んでくれるんじゃないかと。モチベーションとしては、それがすごく大きかったです」

 すごく楽しい42kmを走り、残りの0.195kmは追ってきたルーマニアのシモン選手を振り切るために懸命だった。さらにそこから400m、高橋さんは監督の姿を探してトラックを1周する。早く喜んでいる顔が見たかったし、感謝の言葉を伝えたかった。

「だから私の挑戦は42.195kmプラス400mでようやく終わった」と笑顔で話す。

とても素敵なシーンだった。

 その頃、勝利を確信していた監督はスタジアムでひとあし早く祝杯をあげていた。晴れ渡る空の下、教え子がトップで競技場に戻ってくる。そして、金メダル獲得。その光景を眺めながら、口にしたビールの味はさぞ旨かっただろう。

 勝利の美酒は、実際にどんな味がしたのか? もう本人に直接確認するすべがないのが残念でならない。

 小出監督が駆け寄り、高橋さんが近づき、そっと抱擁したシーンを、いちスポーツファンとして決して忘れることができない。平成のスポーツ史に残る、とても素敵なシーンだった。

 4月24日、私たちに走る楽しさを教えてくれた名伯楽が、80歳でこの世を去った。取材者の1人として、心からのご冥福をお祈りしたい。
 

Number977号「平成五輪秘録」には、小出義雄監督が指導した有森裕子、高橋尚子の2人のクロスインタビューを掲載しています。有森が達成した'92年銀、'96年銅の2大会連続メダル、高橋が達成した'00年の金メダル、その裏側にあったエピソードと彼女たちの想い、メダルを獲得したのちに2人が目指したものとは――。ぜひ誌面でご覧ください。
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