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初代ヴィクトリアマイル制覇コンビ。
北村宏司とダンスインザムードの絆。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph byKyodo News
posted2019/05/07 07:30
2006年、第1回ヴィクトリアマイルで優勝したダンスインザムードをねぎらう北村宏司騎手。
大一番でコンビ復活の理由。
続く秋の天皇賞(GI)でもコンビは継続された。府中牝馬Sとは一転した先行策に、北村騎手は言った。
「位置取りよりも折り合いが問題だと思いました。前へ行ったけど、折り合いはついていたので大丈夫だと思いました」
しかし、思った以上にペースが上がらず、4コーナーでは早くも先団にとりつく形になったのは誤算だった。
「その分、直線へ向いてから僕の方が慌ててしまいました」
結果は3着。
藤沢調教師からは「仕掛けが少し早かったな。もっと我慢しないと……」と言われた。
しかし、師匠は、続くマイルチャンピオンシップ(GI)でも弟子をそのまま騎乗させた。
「また乗せていただけるなら……」と意気に感じた北村騎手だが、結果4着に敗れると、'06年の初戦となったマイラーズC(GII)ではその鞍上を天才・武豊騎手に譲った。そして、ここで2着になると、再び北村騎手とのコンビでこの年に新設されたヴィクトリアマイルに駒を進めることとなった。
「失敗すれば乗り替わりになる。失敗しないためにどう乗るべきか最も分かっているのが宏司だ」
藤沢調教師は、大一番でのコンビ復活の理由を、当時、そう語っていた。
父も観戦、決意を固めた北村騎手。
一方、北村騎手もここでの指名が意味する事を分かっていた。
「馬がすごく良い状態なのは分かっていました。厩舎の皆の期待の大きさも感じていました。その上で乗せていただける事に対するプレッシャーは当然、ありました」
こうして迎えた2006年5月14日のヴィクトリアマイル当日。下手をすると緊張に潰されかねないこの状況で、北村騎手を安堵させる一つの出来事があった。
メインレースまであと2時間少しに迫った時、第7レースに組まれた4歳以上500万下条件を、北村騎手は藤沢厩舎のタイキスピリッツで勝利。ウィナーズサークルへ行った時のことだった。
「客席に自分の父の姿が見えました」
黙って見つめる父の顔を見て、「悩み過ぎて思い切りが無くなっては駄目。自信を持って乗ろう」と決意する事ができた。
パドックに現れたダンスインザムードを曳くスタッフは、引き手ではなくネックストラップに比重を置いて曳いていた。鼻やハミに強い反動が行ってイレ込んでしまうのを防ぐよう、スタッフが考えた手段だった。
「お陰でダンスは落ち着いていました」と北村騎手。他馬の挙動につられないように馬場入りは最後にした。跨った後も、指示通り常歩を踏むか、サインを送るまでキャンターに移らずいられるか、一つ一つ丁寧に確認した。
その結果、「ゲート裏で輪乗りする間もテンションが上がる事はありませんでした」。
ここまでは全て順調にきた。残されたのは競馬だけだった。最内1番枠からスタートを切ったダンスインザムード。