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初代ヴィクトリアマイル制覇コンビ。
北村宏司とダンスインザムードの絆。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph byKyodo News
posted2019/05/07 07:30
2006年、第1回ヴィクトリアマイルで優勝したダンスインザムードをねぎらう北村宏司騎手。
当時25歳、北村宏司騎手に託す。
その手段の一環として、鞍上を北村宏司騎手に替えた。
2005年10月の府中牝馬S(GIII)で初めて、北村騎手は苦悩する桜花賞馬の背に乗り、レースに参戦した。
「嬉しい反面、プレッシャーも感じました」
そう語った、当時まだ25歳の同騎手は、1999年に藤沢和雄厩舎からデビュー。毎朝、馬場開門時間の2時間前には厩舎を訪れ、調教に乗る準備を整えた。そんな姿勢を貫く真面目な若手だった。
当時の藤沢厩舎は、岡部幸雄元騎手や横山典弘騎手などの名手が常に出入りする梁山泊。GIホースの調教に跨る事も一再ならず、こういった経験が、徐々に北村騎手を良いジョッキーへと育てていった。
先述した通り、ダンスインザムードにレースで騎乗するのは初めてとなった同騎手だが、調教では何度も乗っており、癖も見抜いていた。その上で、当時、次のように語っていた。
「競馬場では、見た感じはイレ込んでいないのに発汗が目立ったり、歩こうとしなかったり、精神的に良い状態ではないのだと感じられました」
そこでいかに我慢させるかという課題を、改めて胸に秘めて、初めての実戦に臨んだ。
最後3ハロンでは32秒台。
ダンスインザムードは好スタートを決めた。しかし、外から数頭が殺到して先行争いに加わって来るのを見ると、北村騎手はそれに巻き込まれないように後方へ下げた。
「ゴチャついて気持ちの面に影響が出るのは嫌でした。だから我慢させる作戦をとりました」
直前に手綱をとった横山典弘騎手から「相当、思い切った事をしないと、ちょっとやそっとで復活させるのは難しそう」というアドバイスをもらっていた事も頭に入れ、出来る限り我慢させてから追い出した。
その結果、着順こそ8着だったが、最後の3ハロンでは出走馬中唯一32秒台の脚を披露。
「折り合いを欠いてもおかしくない流れだったのに、力まずに走れた分、末脚を伸ばせました」
そう語った北村騎手には、まだうっすらとだが、復活の兆しが見えていた。