プロ野球PRESSBACK NUMBER
「ボロい」と言われた西武練習場と、
栗山巧、中島裕之……若獅子の秘話。
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byKyodo News
posted2019/05/02 11:30
2000年代の西武を支えた栗山巧と中島裕之。二軍での鍛錬があったからこそ今も現役を続けている。
中島、栗山の練習で驚いたこと。
野球に取り組む姿勢は、一軍に上がってからも、両者とも変わらなかった。
中島は2005年、遠征先の広島で試合中に打球が顔面を直撃し、救急車で病院に運ばれた。ほほ骨を骨折し、チームを離れて1人埼玉に戻った。その翌々日だったと記憶している。
二軍選手の取材のために室内練習場の前で取材開始を待っていると、顔を腫らせた中島が練習着で現れた。ほほが紫色に腫れて、片眼が完全にふさがっていた。
それでもボールがたくさん入ったかごを自分で押し、球団スタッフにボールを投げてもらってティーバッティングを始めた。「こんな状況でも休まないのか」と驚いたことを覚えている。
栗山は10代のうちから、練習場のいちばん奥にあるバッティングマシンで、1人で黙々と打ち込んでいる姿が印象的だった。
自分と対話しているような、近づき難い独特の雰囲気があった。「そのうち一軍で活躍するんだろうな」と漠然と思いながら、その姿を見ていた記憶がある。
栗山の姿勢は35歳になった今でも全く変わらない。つい先日も、メットライフドームでデーゲームを終えたその足で、バットを1本だけ持って室内練習場へ向かっていた。
空調がなく、厳しい環境の中で。
建設から約40年の室内練習場には、もちろん空調はなく、冬は足元から底冷えし、夏は熱気がこもって体感温度は40度近くになる。何をするにも快適さが当たり前となっている現代社会では珍しい、古めかしい施設ではあるが、そんな厳しい環境だからこそ生まれたエピソードも多かった。
泣きながら練習していた選手もいた。2005年入団の星秀和選手だ。真夏の昼間、室内練習場で間髪入れずにティーバッティングを繰り返していた。
1時間を経過したころだろうか。よほど苦しかったのだろう、目から涙をぼろぼろと流しながら、それでもバットを振ることをやめなかった。
星選手は、入団時は捕手だったが途中で外野手へと転向。同じ姓の星孝典捕手(現育成コーチ)が試合中、退場となり、捕手がいなくなってしまったため急きょ、捕手経験のある星秀和選手がマスクをかぶったゲームを記憶しているライオンズファンは多いだろう。