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Mr.高速スライダー伊藤智仁が語る、
1993年6月9日、伝説の巨人戦の真実。
posted2019/03/31 10:00
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph by
Kazuaki Nishiyama
ウィキペディアで「高速スライダー」の項目を調べると、こう書いてある。
通常のスライダーよりも速球との球速差が少ない球種。明確な基準は無いが、概ね速球と5~10km/h程度の球速差とみなされている。郭泰源や伊藤智仁、松坂大輔などの活躍に伴い、新たな球種として普及されるようになった。
郭泰源は、1985年から'97年まで西武で活躍した台湾出身投手。松坂は'99年のデビューだから、'93年デビューの伊藤が“魔球”を操る日本人投手のパイオニアであることは間違いない。
そんな彼の知名度を飛躍的に上げた試合がある。皇太子さまと雅子さまの結婚の儀が行なわれ、日本中がお祝いムードに包まれた'93年6月9日。ヤクルトのドラフト1位ルーキーが、石川県立野球場の観衆とテレビ中継の視聴者の度肝を抜いた。
初対戦の巨人打線を初回から翻弄。9回途中には16個目の三振を奪い、'67年の金田正一(巨人)、'68年の江夏豊(阪神)、外木場義郎(広島)の持っていたセ・リーグ最多奪三振記録に並んだ。
しかし、新記録達成目前で篠塚和典にサヨナラホームランを浴び、わずか1失点で負け投手に。悔しさのあまり伊藤はグラブを叩きつけ、ベンチに引き上げた。その快投と残酷なエンディングによって、ヤクルトファンだけでなく、多くのプロ野球ファンが伊藤智仁の名前と決め球「高速スライダー」の威力を記憶に刻んだ。
「実はものすごく調子が悪かった」
負けはしたものの、“出世作”と言えるゲームだ。ところが約25年後、楽天の投手コーチとなった伊藤智仁は、苦笑いとともにこの試合のピッチングを振り返る。
「実はものすごく調子が悪かったんです。初回に原(辰徳)さんから奪った三振も、すっぽ抜けたスライダーが曲がらなくて、伸びていったことで空振りになりました。5回ぐらいで、もうバテてましたね」
5回裏を投げ終え、ベンチに戻った伊藤は、自身が奪った三振の数を聞いた。
「5回で12個。そりゃしんどいわけや、と。本当に調子が悪くて、カウント球を打たせられない。無駄な球を投げてフォアボールを出し、ファウルでも粘られる。三振は多く取れましたが、9回で150球も投げてしまっている。6回は三振がなかったんですけど、むしろ前に飛んでくれて良かったなって思ったくらいですから」