ファイターズ広報、記す。BACK NUMBER
田中賢介、シーズン前に引退表明。
功労者の花道は日本ハムの活力に。
text by
高山通史Michifumi Takayama
photograph byKyodo News
posted2019/03/29 12:05
昨年12月、契約更改の席で2019年シーズン限りでの引退を表明した田中賢介。'13年にMLBでプレーした以外は日本ハム一筋を貫く。
ビジター応援席で見つけたメッセージボード。
日本球界で珍しい今回のケースは今後、1つのモデルケースになったら興味深いと思っている。選手個々で引退に対する美学や、思想、思考など捉え方は違う。それでも、田中賢選手を近くで見ていると、このような引き際も良いと感じている。
2月、3月のオープン戦ではビジター球場の応援席に、田中賢選手へのメッセージが記されたボードを掲げているファンの方々を例年よりも多く目にした。ラストイヤーを見届けようという思いが、形になっていると実感した。北海道外で遠方に居住し、なかなか札幌ドームへ訪れることができない人たちにとっては、引退することを理解した上で応援できて、目に焼き付けることができたのは良いことだろう。公式戦も、同じである。
広報として取材対応をしていても、例年より多種多様の媒体からのオファーがある。ほぼ例外なく「引退」がキーワードになっている。田中賢選手にとっても、包み隠さず思いをさらけ出すことができて、堂々とファンまた視聴者、読者へと伝えることができる。自分に正直に感謝の思いを述べるなど礼を尽くせる。素晴らしいことだと傍で見ていて思う。
「新庄、電撃引退」の年は日本一。
大リーグでは、ヤンキースのCC・サバシア投手が今季限りでの引退を表明して'19年シーズンに臨んでいるように同様の事例は、ままある。日本球界と単純比較はできないが、今回の田中賢選手の例が、引退スタイルの選択肢の広がりにつながれば良いと思う。
ファイターズでは'06年の開幕直後の4月に、新庄剛志氏がそのシーズン限りでの引退を電撃表明したことがある。同じようにレアケースだった。そのトピックが少なからずプラスに作用したと確信しているが、25年ぶりにパ・リーグを制覇し、44年ぶりの日本一に輝いた。当時、私はスポーツ紙の担当記者だったが、体感したことがない異様な盛り上がりだった記憶は、今も深く刻まれている。
3月29日。'19年シーズンが開幕する。田中賢選手の野球人生の最終章へのロングスパートが始まった。よく引き際は、花道と称される。そのスタート地点は、生命の息吹があふれる球春でもふさわしいと、思った。