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監督業に戻ってきた浦安・都並敏史。
解説者としての経験がもたらすもの。
posted2019/03/29 06:30
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph by
BRIOBECCA URAYASU
解説者、都並敏史の生活は一変した。
ほぼ毎日、まだ日が昇らない朝5時に起床し、東京都内の自宅から千葉県浦安市内のグラウンドへ。午前8時には関東1部リーグに所属するブリオベッカ浦安のスタッフとともに朝日を浴びながら荷物を運び、練習の準備を始めている。
監督の朝は早い。日によく焼けた元日本代表の顔には充実感が漂う。
「今は楽しいね。俺はやっぱりサッカー人だから。現場の匂いを感じていられるって、本当に幸せだよ」
2008年にJ2の横浜FCで最後に指揮を執って以来、実に11年ぶりの監督復帰となる。率いるチームはトップカテゴリーのJ1から数えると、実質5部相当。それでも、あふれる情熱を注ぎ込む理由がある。
「自分のなかでいつかもう一度、監督をすると決めていた。できることならば、この浦安でチャンスがほしいって。ここは旧知のチーム。これまで5年間、テクニカルディレクターを務めていたけれど、浦安との付き合い自体は35年になる。読売クラブの先輩と同期が母体をつくったころから関わってきた。俺はね、浦安を昔の読売クラブみたいにしたいと思っている」
育てた選手が「選手権に出たい」。
当初は東京五輪が開催される2020年までは、解説業に力を入れるつもりだった。内心ではJ3に昇格した頃を見計らい、監督に就任する未来予想図も薄っすらと描いていた。しかし、運命の歯車が噛み合い、タイミングは思いのほか早まった。
昨季はテクニカルディレクターの立場として、もがくチームを歯がゆい思いで眺めた。目標のJFL昇格に失敗し、行き詰まっていたときだ。
力を入れて育ててきた下部組織の選手たちが、ユース(高校年代)に上がるときに「高校選手権に出たい」という理由でチームを離れていく姿を目の前で見て、やるせなさと悔しさがこみ上げた。
「これもトップチームが輝いていないからだ。この流れを止めたい」