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監督業に戻ってきた浦安・都並敏史。
解説者としての経験がもたらすもの。
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph byBRIOBECCA URAYASU
posted2019/03/29 06:30
解説中と同じ快活な声を響かせ、都並敏史監督はブリオベッカ浦安での日々を過ごしている。
神様から「監督をもう一度やれ」。
ただ、生活面などを考えると、現実的にできることは限られていた。思い悩んでいた昨年、ずっと面倒を見ていた母親が他界。命日は26年前にJリーグが開幕した日、5月15日だった。
「いろいろなことが重なった。これは神様に『監督をもう一度やれ』と言われているのかなと思った」
たとえ厳しい船出となっても覚悟を決めた。昨季、浦安は関東リーグを6位で終えており、首位の栃木シティ(前栃木ウーヴァ)との勝ち点差は28ポイント。相対的に見ても、潤沢な資金もなければ、戦力も整っていない。
そんな現状を把握した上で、可能性も感じている。5年前、親友である齋藤芳行(元監督)が集めた経験ある選手たちが5人残っており、チームには一体感があるという。
「チャンスはあると思う。当然、1年でのJFL昇格を狙っている。今季のアラベス(スペイン)のようにジャイアントキリングを起こして、勝ち点を重ねていきたい。ボールをつなぎながら、どんな相手に対しても、常にチャレンジャー精神を持って戦う。自分が勉強してきたアルゼンチンのサッカーはそうだから」
過去の失敗の原因は整理した。
言葉には自信がにじむ。都並の選手としての実績は申し分ない。日本代表の左サイドバックとして78キャップを誇り、読売クラブ、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)の黄金期を支えた。
とはいえ、監督としてはまだ成功を収めていない。
'05年にベガルタ仙台、'07年にセレッソ大阪、そして'08年に横浜FCを率いたが、いずれもJ2からJ1昇格というミッションを果たせずに1年限りで退任した。
自信の根拠はどこにあるのか――。現場から長らく離れている間、本人は過去のことを真摯に受け止めて、考えをあらためた。
「自分で失敗したと思っている。原因も整理できている。俺は自分の考えるサッカーを選手にやらせたいばっかりで上から目線だった。できるだろ、お前たちって。選手みんな、心技体がそろっているわけではないのに。
メンタルの弱い選手は、監督に言われすぎるとロボットになる。いまは対話を大事にしている。お前たちにやってほしいんだ、というスタンス。何よりも選手ありきで、チームをつくっている」