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イチローがボストンをざわつかせた日。
「あるべきベースボール」の意味。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byNaoya Sanuki
posted2019/03/27 16:30
MLBでのイチローの歩みは、アメリカから日本への視線を覆す戦いでもあったのだ。
イチローを止めるのは「ノーチャンス」。
ずっと後、この試合でマスクをかぶっていたジェイソン・バリテックは、「(イチローを止めるのは)ノーチャンスだった」と言った。
「マリナーズが他の球団とは少し違うのは、スカウティングリポートを読んで知っていた。イチローだけではなく、(マイク・)キャメロンや(マーク・)マクレモアも足を使ってくるので、ディフェンスにはとても気を使っていたんだ。それでも彼らを止めるのは難しかった。たとえ1人を止めても、2人目、3人目が走ってくる。
そして、その起点となっていたのがイチローだ。彼が塁に出ると、連鎖反応のように打線がチャンスを作り、それを広げ、得点を重ねていくんだ。気が休まる暇なんてなかったよ」
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気が休まる暇のない攻撃。それがイチローの野球(の一部)だった。
口うるさい記者たちも脱帽。
イチローは結局、「メジャー挑戦」を始めた2001年、レッドソックス戦全9試合で、7盗塁を決め、42打数18安打(打率.429)と打ちまくった。
レッドソックス戦に限って言えば、セイバーメトリクス派が推奨する出塁率も.455、長打率は.548と、いずれも突出した成績を残している。
そしてもっとも大事なのは、マリナーズがレッドソックスに対して6勝3敗と大きく勝ち越したことだろう。
レッドソックス・ネイション=ニューイングランド地方の口煩い記者たちがこれ以降、イチローに対して一目置くことになったのは言うまでもないだろう。