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「日本の筋トレ」と歩んだ34年・前編。
五輪、リー、マドンナが与えた影響。
text by
増田晶文Masafumi Masuda
photograph byAFLO
posted2019/03/17 11:00
マドンナの鍛え上げられた身体は、女性の美的感覚を大きく揺さぶるエポックだった。
1964年の東京五輪がきっかけだった。
身をもってみつめてきた昭和から平成のフィットネス・クロニクル――。
私が4歳だった1964年、東京オリンピックが開催された。これを契機に全国に公営の体育館やグラウンドが整備されたのはよろこばしいことであった。
だが、いかんせん行政の落とし穴、ウワモノは造るけれど中身が薄かった。ことにトレーニングの指導者不足は顕著だったし、運営方針も一般市民をターゲットにしているとはいえなかった。これを「仏つくって魂入れず」という。依然として、トレーニングは一部の人たちだけの宝物だったのだ。
ただプールは別で、公営と民間を問わず盛況をみたのは事実。幼い私も母から無理強いされ、スイミングスクールの塩素臭いプールに放りこまれたものだ。大阪で私立小学校に通っていた私だが、子どもの習い事「スポーツ部門」のトップは断トツで水泳だったと記憶している。
日本最初のボディビルジムは渋谷にあった。
時代は前後するけれど、プール同様の開設ラッシュはボディビルにもあった。
1953年、渋谷に日本初のボディビルジム「日本ボディビルセンター」がオープン。その2年後、放送開始間もない日本テレビで「男性美をつくるボディビル」というレギュラー番組がスタートしている。この波紋はすさまじく、全国でボディビルジムがどんどこ誕生したというのだから愉快、愉快。
敗戦まもない頃の日本男子にとって、欧米の男どもの逞しい筋骨は羨望の的、その裏返しで劣等感が根深かったのも想像に難くない。
三島由紀夫がボディビルに傾倒したのは有名な話だし、プロレス勃興期の力道山もあの時代のマッチョの代表といえよう。
昭和30年代は、夏ともなれば海水浴場やプールサイドで、ボディビル大会が開催されていた。私なんぞ、もう少し早く生まれていたら、いそいそと浜辺の筋肉美コンテストに参加していたはずだ。