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内田篤人を放出したSDがついに退任。
迷走シャルケに浮上の糸口はあるか。
text by
了戒美子Yoshiko Ryokai
photograph byAFLO
posted2019/03/07 10:30
シャルケ復活を託されたヨッヘン・シュナイダー新マネージャー。最初の仕事が監督探しにならないとよいのだが……。
就任前の「舌戦」で微妙な雰囲気が……。
ハイデルがシャルケにやってきたのは2016年の夏だった。
かつてマインツで長くSDなどを務め、ユルゲン・クロップやトーマス・トゥヘルといったドイツだけでなく欧州に通用する名称を発掘した腕利きとして歓迎された。
だが、自身がシャルケの一員になる前から監督交代の意向を示すなどし、ハイデルの前にSDを務めていたホルスト・ヘルトからは「今すぐ口を閉ざすべきだ」と不快感を示された。
加入前の舌戦はあまり気持ちの良いものではなかった。
フンテラールや内田を次々と放出。
実際自身が職につくと、アウクスブルクで手腕を発揮していたマルクス・バインツィアルを招聘。そのシーズンは10位に終わったこともあり、'17-'18シーズンからはドメニコ・テデスコを監督に据えたという流れだ。
ハイデルが推し進めたのは、世代交代とチームのスリム化だった。
テデスコが監督に就任した’17年の夏には、まずはクラース・ヤン・フンテラールを、ついで内田篤人を、最終的にはベネディクト・ヘべデスを放出した。フンテラールは年齢的に仕方なく、内田に関しても負傷から復帰しきれていないから仕方ないといえばしかたない。
だが、'88年生まれのヘべデスは当時まだばりばりのドイツ代表で、しかもシャルケの生え抜き選手だ。13歳でシャルケに入って以来17年間クラブを支えてきた選手よりも、'85年生まれの監督、テデスコを取ったわけだ。
問題は、大物を放出したにも関わらず補強が不足していたことだ。
それでも、ティロ・ケーラーやレオン・ゴレツカといった将来のドイツを支える選手がまだ在籍していたし、テデスコはシャルケをリーグ2位に導いた。
今季はそのケーラーはPSGに、ゴレツカは23歳の若さながら移籍金ゼロでバイエルンへと移籍していった。
マックス・マイヤーも同じく移籍金なしでプレミアリーグのクリスタル・パレスへと旅立った。