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日本ハムの三塁は大田泰示が適任。
過去のコンバート成功例から考える。 

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小関順二

小関順二Junji Koseki

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photograph byKyodo News

posted2019/02/18 17:00

日本ハムの三塁は大田泰示が適任。過去のコンバート成功例から考える。<Number Web> photograph by Kyodo News

日本ハムに移籍し、主力の一員として脚光を浴びた大田泰示。今季は三塁コンバートという報道もある。

衣笠、高田繁はコンバート成功。

 コンバートは過去にも盛んに行われてきた。

 強く印象に残っているのは衣笠祥雄(広島)の一塁から三塁への転向だ。

 一塁を守っていた'73年は94安打(打率.207)、'74年は119安打(打率.253)だったのが、三塁に転向した'75年は132安打(打率.276)、'76年は156安打(打率.299)と成績は急上昇した。

 巨人のV9を支えた高田繁の三塁コンバートも成功例だ。

 9連覇した'73年から成績が急降下し、'75年まで3年連続2ケタ安打が続いたが、長嶋茂雄監督2年目の'76年に左翼から三塁に転向すると131安打、140安打と息を吹き返した。

村上、宇野はショートから……。

 一方で、成績が下降した例もある。

 日本人としては希少価値の高い大型ショートとして注目された村上隆行(近鉄、現中日打撃コーチ)と宇野勝(中日)は、'88年にそろってショートから他のポジションにコンバートされた途端、成績が下降した。

 村上は'85、'86年に116、112安打し、ホームランも16、22を本記録したが、打撃を生かそうと外野にコンバートされると、それ以降100安打以上できなかった。

 宇野は'84年に37本塁打を放ち本塁打王に輝き、'87年には遊撃手部門で3回目のベストナインに選出された。

 普通に考えればチームの大黒柱として扱われそうだが、黄金ルーキー立浪和義(遊撃手・PL学園)が'88年に入団すると二塁転向。それ以降も外野、三塁を年ごとに転々としながら成績を落としていった。

 村上も宇野も、ショートからのコンバートがなかったらこれほど明らかな成績低下はなかっただろう。

 この衣笠と高田、そして村上と宇野の明暗を見ると、今季の日本ハムの三塁手は大田泰示がベストだと思う。

【次ページ】 三塁で心機一転してみては。

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