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サッカー界とテレビ業界まで変えた。
実況席で見た1992年アジア杯初制覇。 

text by

石倉利英

石倉利英Toshihide Ishikura

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2019/01/08 11:00

サッカー界とテレビ業界まで変えた。実況席で見た1992年アジア杯初制覇。<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

1992年のアジア杯制覇を成し遂げ、歓喜に沸くオフトジャパン。若き日のカズ、森保一の姿も。

スタンドの風景も変わった。

 イランとの第3戦、日本は引き分け以下ならグループステージ敗退という状況だった。実況担当ではなかった山本氏は試合前、スタンドに足を運んでいる。

 熱狂的なファン・サポーターはゴール裏に集結するという習慣が、まだなかった時代。複数の場所で塊を作ってキックオフを待つ人々を見ながら、山本氏は新しい時代の始まりを感じていた。

「それまでは限られた人々が手拍子をしたり、小旗を振っていた程度。実業団スポーツの応援の延長ですよね。でも、みんながチアホーンを鳴らしたり、選手個別の応援歌を歌ったりしていました。これまでのスタンドの風景とは明らかに違っていましたね」

 イラン戦は、終了5分前にカズ(三浦知良)の劇的なゴールが決まり、1-0で勝ってグループステージを突破。続く準決勝の中国戦も点の取り合いの末に3-2で勝ち、山本氏が実況を担当する決勝に駒を進めた。

高木は不器用と思っていたが。

 相手はサウジアラビア。前半用と後半用、2つの布陣図にデータを書き込んだ資料を用意して、山本氏は生中継の実況を始めた。

「アジアの覇者を決める戦い。まもなく試合開始のホイッスルが鳴ろうとしています」

 決勝まで来ても、山本氏は不安を拭えないでいた。

「サウジアラビアは3連覇を狙っていました。大会に入って試合を見ていたし、関係者の誰に聞いても『サウジは強い』と言う。それに、やっぱりどこかで『勝てないんじゃないか』と思っていましたね」

 だが日本は落ち着いた試合運びを見せ、36分に先制点を奪う。カズの左からのセンタリングを、高木琢也が胸トラップから左足ボレーで蹴り込むファインゴールだった。

「失礼ながら、高木は不器用な選手だと思っていたので(笑)、あんなゴールを決めるとは驚きました。でも、私の古いサッカー観を蹴飛ばしてくれるゴールでしたね」

 その後は追加点こそ奪えなかったものの、反撃をしのいで1-0で逃げ切り。山本氏は生まれて初めて、日本の『勝利』を実況した。

「ここで優勝のホイッスル! 日本、アジアカップチャンピオン! 1-0、サウジアラビア3連覇の野望を打ち砕きました!」

【次ページ】 こんなに喜んでいいのかよ。

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