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サッカー界とテレビ業界まで変えた。
実況席で見た1992年アジア杯初制覇。 

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石倉利英

石倉利英Toshihide Ishikura

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2019/01/08 11:00

サッカー界とテレビ業界まで変えた。実況席で見た1992年アジア杯初制覇。<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

1992年のアジア杯制覇を成し遂げ、歓喜に沸くオフトジャパン。若き日のカズ、森保一の姿も。

『砂漠のペレ』と名付けたり。

 視聴者に相手選手のイメージを膨らませてもらうために、『砂漠のペレ』などと名付けて伝える手法も用いたが、基本的に実況のスタイルは、目の前で起こっていることを話す、というシンプルなもの。解説者との二人三脚で、プレーの詳細を伝えていった。

 '92年は日本代表および日本サッカー界にとって、エポックメーキングな出来事が多くあった年だった。

 3月にオランダ人のハンス・オフト氏が、外国人として史上初めて日本代表監督に就任すると、8月に韓国、中国、北朝鮮と争ったダイナスティカップで優勝。1954年のアジアサッカー連盟(AFC)創設以降では初めてとなる国際大会での優勝だった。

 9月にはJリーグ初の公式戦、ヤマザキナビスコカップが開幕。'93年5月のJリーグ開幕を控え、日本サッカーが右肩上がりに成長していると実感できる出来事が続いた。

日本に対して疑心暗鬼だった。

 そんな中で迎えた地元開催のアジアカップ。永遠のライバル・韓国が予選で敗れて不参加だったこともあり、メディアの間では優勝を期待する声も高まっていたが、山本氏は必ずしもそうではなかった。

「日本代表が勝てるとは思っていなかったんですよ。ダイナスティカップで優勝したといっても、韓国との決勝はPK戦でした。メキシコW杯最終予選も、'87年10月のソウル・オリンピック予選も、最後は日本が負けている。暗い思い出ばかりを引きずっていた時代ですからね。

 もちろん口では別の言葉を発していても、心のどこかで、絶対に勝たなければいけないとも、絶対に勝てるとも思っていない。日本のサッカーファンも疑心暗鬼だったんじゃないでしょうか」

 オフト監督の指導法を快く思わない、旧知のサッカー関係者の声も聞いていた。そうした不安を煽るように、大会序盤の日本は調子が上がらない。UAEとの初戦は0-0の引き分け。北朝鮮との第2戦は前半に先制され、試合終盤に中山雅史の同点ゴールで何とか追い付いたものの、1-1で2試合連続の引き分けに終わった。

【次ページ】 スタンドの風景も変わった。

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山本浩

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