大相撲PRESSBACK NUMBER
引退した里山の忘れられない一言。
「本当は前に出る相撲を取りたい」
posted2018/11/28 07:00
text by
西尾克洋Katsuhiro Nishio
photograph by
Kyodo News
「本当は阿武咲みたいな、前に出る相撲を取りたいんです」
そう語った力士の名は、里山浩作。九州場所で引退し、佐ノ山を襲名したあの里山である。
昨年十両から陥落後、1年あまり幕下で再起をかけて闘い抜き、20枚目から10枚目で一進一退を繰り返し、9枚目で迎えた今場所、最後の取組で若手のホープである琴鎌谷との激戦を制しての勝ち越し。十両復帰に向けて期待の膨らむ勝利だったこともあって、引退の衝撃は大きかった。
だが、37歳の里山にとっては、ここが引き際だった。
幕内在位は6場所、十両在位は実に41場所。120kg前後で小兵の里山が約8年関取を務めたことは、幕内の平均体重よりも40kg近く軽いことを考えると特筆すべきことだったように思う。
里山が十両に在位していた頃は、小兵力士が絶滅寸前だった。大型化によって立合いの当たりがより激しく、より速くなった。そのため、スピードでかく乱したり足技のような技術で翻弄したりすることが難しくなった。かつて小兵が得意とした決まり手が激減しているのにはこういう理由があるのだ。
相手に潜り込む、珍しいスタイル。
里山は2004年、小兵力士にとっては逆境と言っていい時代に日本大学からプロ入りした。入門から2年で十両に昇進し、そこから2年は関取として活躍することができていた。だがそこから幕下に陥落し、実に4年間を幕下で過ごすことになった。
幕下の相撲を見ていて感じるのが、幕下にいる期間が伸びると、体つきも相撲内容も幕下力士のものになってしまうということだ。すぐに十両に戻れなければ、幕下に定着してしまう。JリーグでもJ2に転落してすぐに戻らなければJ2に定着してしまうように、大相撲でも似たようなことが起きるのである。
里山も幕下に落ちてからすぐは上位にいたが、陥落から1年が経過すると30枚目から10枚目の力士になってしまった。
その頃、私は里山という力士を知った。
見たことも無い相撲を取る力士だったからだ。
その時知った里山のスタイル。それは相手の腹より下に潜りながら崩すという、独創的なものだった。腹の下に力士が居れば、相手力士の前への推進力は失われる。そして、下半身が不安定になる。
そのまま前に進んでもよいし、足のバランスを崩しに掛かってもよい。だがそれを皆出来ないのは、この体勢から攻めるのにはそれに特化した技術が必要だからである。