大相撲PRESSBACK NUMBER
引退した里山の忘れられない一言。
「本当は前に出る相撲を取りたい」
text by
西尾克洋Katsuhiro Nishio
photograph byKyodo News
posted2018/11/28 07:00
里山が入門から2年で十両に昇進した頃の1枚。その後の苦しい時期を乗り越え、今秋現役を引退した。
アスリートでありエンターテイナーであり。
そして阿武咲のようになりたいという告白に驚く私に、里山はこう続けた。
「今の相撲は、本当は怒られる相撲だと思います。でもこの相撲で勝てるし、お客さんも喜んでくれる。取りたい相撲とは違います。でも自分は今の相撲を取るんです」
別の人からは、こんな話も教えてもらった。
「奄美出身者は、島相撲と言われます。幕下の慶天海なんかもそうですよね。子供のころは愚直に頭で当たって前に出ることしか指導されないことが多いそうです。変な相撲を取るとむちゃくちゃ怒られるんですよ」
全ては自分が活路を見出すため。そして観客を喜ばせるために、今のスタイルで取り続けているということは驚きであり、ショックだった。
そこには葛藤もあることだろう。恐らく批判する方もいたのだと思う。その末にたどり着いた相撲で里山は闘い続けた。そして里山は関取生活の殆どを十両で過ごしながら、これだけ引退を惜しまれる力士に成長した。
自分がいて、相手がいて、観客がいる。ただ勝つだけでなく、多くの方にどう見られるかを考えて、全てのバランスの中で選択を迫られるということにあらためて驚き、私は感服した。力士はアスリートであり、エンターテイナーでもあるのだ。
里山がまだ幕下だった頃、私は幕下の虜になっていた。
ガリガリの力士がいたと思えば肥満体の延長線上の力士もいた。荒削りで雑なのだが見たことも無い相撲を取る外国人力士もいた。
そして里山のような17時の大相撲では見られないようなスタイルを確立した力士もいた。そんな年収100万円の彼らが、年収1000万円の十両になるために戦う。こんな世界があるのかと驚かされ、魅了された。
人生をかけた大一番。
そんな中、忘れることが出来ない一番を目撃した。
2012年初場所の、吐合と里山の一番である。
吐合(はきあい)は元学生横綱で、2005年に幕下15枚目格付け出しデビューをするも、両膝に大けがを負い、番付外に転落して再起をかけるも幕下からなかなか上がれない力士だった。
この場所の吐合は怪我から立ち直り、東龍や千代鳳といった実力者を軒並み破って6連勝。あと1番勝てば幕下優勝と初の十両を手にするというチャンスを、8年目にして掴んでいた。
そして里山も、幕下筆頭で3連敗から3連勝で息を吹き返し、同じくこの一番を勝てば約4年間の幕下での低迷に別れを告げて十両に浮上できるという一番だった。29歳の吐合と、30歳の里山。お互いにラストチャンスかもしれない者同士の、文字通り一生をかけた大一番だったのだ。