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吉田輝星の正面には菊地亮太がいた。
金足農とU18、違いは捕手だった?
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2018/09/11 16:30
吉田輝星ばかりが注目されていたが、彼の球を受け続けた菊地亮太の力も忘れてはいけない。
金足農の捕手・菊地が語る吉田の変化。
初戦から4試合連続2桁奪三振、最速150キロを計測するなど、誰もが認めるように吉田の投手としての能力は高く、パフォーマンスが一級品であることに疑いの余地はない。
その吉田の力を最大限に引き出していたのが、捕手の菊地亮太だったわけだ。女房役について、吉田はこのように評している。
「バッターのことをすごく研究していて、観察眼にも優れている」
菊地がいて、吉田が活きた。
夏の甲子園では、ふたりの呼吸が絶妙にシンクロしていた。しかし時を遡れば、新チームが発足した昨秋からそれが噛み合っていたかというとそうではない。
菊地が当時を回想する。
「3年生がいたときは先輩に囲まれていたので表に出ていませんでしたけど、新チームになってからの吉田を見ていると、ひとりで抑えようとしているところがあって。周りにもそういう雰囲気を出していました」
秋田の公立校の絶対エース。菊地の言葉を要約すれば、その頃の吉田は「お山の大将」だったわけだ。
ひとりで投げようとはしなくなった。
そんなマウンドでの自己証明に躍起になっていた投手が変わるきっかけがあった。
当時から140キロ台のストレートには力があったが、県外の強豪校相手となるとことごとく痛打を浴びていた。鶴岡東との練習試合のことだ。打ち込まれた試合を分析した菊地は、バッテリーの欠点をこう確信した。
「それまではアウトコース一辺倒だったんです。あそこから『インコースも投げないとダメだ』と思いました。吉田のストレートはノビがあるしコントロールもいい。きわどいコースだとバッターも見えづらいし打ちにくいだろうから、インコースをどんどん攻めよう、と。
そこから自分も吉田も自信を持って攻められるようにはなりました。気合いを入れるために初球から投げさせたり、『ボールが抜けなければデッドボールでもいいんだぞ』と、言ったりしていました」
チームを背負うエースとしても、春の東北大会で注目を浴びるようになってからは、指導者から「人に見られる人間は立ち振る舞いも大事だ」と薫陶を受けたことで協調性が現れるようになった。そんな吉田に、菊地も「ひとりで投げようとしなくなり、周りを見て声をかけられるようになった」と、成長を実感したと述べている。