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一度は競馬に反発した幼少期を経て、
親子2代で夢を繋ぐ手塚貴久調教師。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2018/09/07 16:30
コンスタントに好成績を残している手塚貴久調教師。秋競馬でも有力馬の出走が多く控えている。
父を見て勉強になった辛抱の仕方。
初勝利は1カ月後の4月11日。1年目は8勝に終わったが、その8勝目がベルグチケットによるフェアリーS(GIII)。開業初年度で早くも重賞初制覇を成し遂げてみせたのだ。
しかし、重賞初制覇こそ早かったものの、その後、一気に二世の血が開花したわけではなかった。2年目の2000年から4年目の2002年まで、厩舎の勝利数はいずれも10勝台に終わっている。当時、話を伺ったときは、若き調教師は「このくらいは我慢のうちには入らない」と笑いながら答え、次のように続けた。
「父を見ていて、最も勉強になったのが『調教師は辛抱が必要』という事でした。身体的に弱い馬がなかなか仕上がらない時は辛抱が必要。厩舎の成績が上がらない時も辛抱が必要。辛抱出来ないと、馬はますます走らなくなってしまいます。競馬は順調に行かない事がほとんどなので、そういう時はとにかく辛抱が大切だと、父の姿を見ていて感じました」
開業当初は連闘させて失敗も。
それでも開業当初は辛抱し切れない事も度々あったと言う。
「分かっているつもりでも、ついつい連闘させて失敗する事もよくありました。故障させてしまう馬も今より多かったし、正直、辛抱が足りなかったのだと思います」
経験を積み、頭で考えている事に行動が伴うようになっていった。ようするに辛抱すべきところでは辛抱出来るようになった。
そんな成果が競馬の結果にも表れた。
'03年に29勝を挙げると翌'04年は30勝。そのまた翌年の'05年も27勝を挙げ、更にこの年はグレイスティアラで全日本2歳優駿を制覇。交流レースとはいえ、自身初のGI制覇を達成した。
更に6年後の'11年にはアルフレードで朝日杯フューチュリティSを優勝。ついにJRAのGIも優勝すると、'13年にはアユサンで桜花賞、アジアエクスプレスでも朝日杯フューチュリティSを優勝。次々とGIを制してみせた。