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一度は競馬に反発した幼少期を経て、
親子2代で夢を繋ぐ手塚貴久調教師。

posted2018/09/07 16:30

 
一度は競馬に反発した幼少期を経て、親子2代で夢を繋ぐ手塚貴久調教師。<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

コンスタントに好成績を残している手塚貴久調教師。秋競馬でも有力馬の出走が多く控えている。

text by

平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

PROFILE

photograph by

Satoshi Hiramatsu

 1964年9月20日生まれだから間もなく54歳となるのが手塚貴久調教師だ。

 手塚が生まれ育ったのは栃木県足利市。彼の父親・佳彦は、当時、足利競馬の調教師をしていた。しかし、そんな家系にありながら、手塚は幼少時、競馬に対して良いイメージを持っていなかったと言う。

「僕が中学生くらいの時、まだまだ世間の競馬に対する見方というのは良くありませんでした。そんな頃、同級生から『手塚の家は競馬でメシが食えるのだから良いよな……』とよく言われたんです」

 それが嫌で父と同じ道を歩む気はなかったそうだ。

 だから親元を離れ、大学に通った。しかし、そこで彼は思わぬ世界を知る。

「学生時代の仲間が皆、競馬のファンでした。自分が育ってきた環境とは全く違う価値観がある事を知り、競馬に対するイメージも変わりました」

JRAで父と同じ競馬の世界へ。

 さらに4回生の時、彼の人生を決定付ける大きな出来事があった。就職したら家族で出かける事もままならなくなると思った彼は、父親を連れて北海道を旅行した。その時の事だった。

「一緒に牧場をまわっている時に『やっぱり馬の世界が良い』と感じたんです」

 その思いを手紙にしたため、両親に送った。両親から反対の声が上がる事もなく、心を決めた。同時に、もう1つ、決めた事があった。

「中央競馬(JRA)でやろうと思いました。賞金がどうとか考えたわけではありません。父親と同じ所でやって比較されるのが嫌だったので、違う土俵を選んだまでです」

 こうして'89年にJRA競馬学校厩務員課程に入学すると、同年10月には美浦・相川勝敏厩舎で厩務員となった。

 その後、佐藤林次郎厩舎を経て、佐藤全弘厩舎で調教助手をしている時、調教師試験に合格。'99年3月1日、34歳で厩舎を開業した。

【次ページ】 父を見て勉強になった辛抱の仕方。

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#手塚貴久

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