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種市篤暉は清宮幸太郎に真っ向勝負!
ロッテの次世代エース候補は19歳。
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byKyodo News
posted2018/08/25 11:00
1998年9月7日、青森県三沢市生まれ。八戸工大一では甲子園出場なし。ストレートやスライダーだけでなく、落差の大きいフォークも武器。
2人の“怪物”に挟まれた高校時代。
内沢は190cmを超える長身ピッチャーで、種市が高校へ入学した頃には2年生ながらチームのエースとして君臨していた。球速も140kmを超え、試合で投げればプロのスカウトたちが大勢押しかけた。種市にとっては、さぞかし眩しい存在に映っただろう。
一方、古屋敷は種市が2年に進級した年に高校に入学した。こちらもいきなり140km台のボールを連発し、高校を卒業するころには球速が150kmを超えていた。そんな“怪物”のような2人に挟まれて、種市は高校時代を過ごしている。
球速の話を振ると、一瞬、照れてしまうのもそのせいだ。
「当時の自分はそこまで球も速くもなかったですし、いつかは速い球を投げたいとは思っていましたけど、常に近くに2人がいたので……。でも、そこから自分も色んなことを考えながらやってきました」
ウエイトで体も鍛えて大きくした。
八戸工大一高時代は走り込みを中心にしたメニューで下半身を徹底的に鍛えたという。入学時は130km台だった球速も徐々に上がっていき、高2秋には140km台を超えると、高3春の東北大会では148kmを計測するまでに至った。
しかし、プロの世界に進むとそれだけでは通用しないと、種市はすぐに感じとった。
種市と同じようにドラフト6位で入団し、プロ3年目に一軍の先発ローテーションに加わった二木康太を生きた教科書にすると、プロ入り後は食生活を強く意識して、さらには週4回のウエイトトレーニングで体を鍛えた。
入団時は83kgだった体重も現在は5kgほど増えた。種市は今の自分について、こう語る。
「ピッチングなら今日はここを意識してやってみようとか、練習メニューでも事前に決めていたことは必ずこなすとか、そうしたことを毎日、自分自身に言い聞かせながらやっています」