“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
サッカーで輝く「切磋琢磨」の物語。
インハイ8強・桐光学園2年生コンビ。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/08/10 17:15
佐々木ムライヨセフ(左)と西川潤。2人は同じピッチ上で、激しく競い合うように急成長しているようだ。
「自分に足りないのは気持ちの部分」
「(西川)潤も桐光に来るって知ってめちゃくちゃ驚きました。『え、なんで!?』と思いました(笑)。でも、正直『一緒にプレー出来るんだ!』と嬉しかったですね」
実は、西川はユース昇格を断り、桐光学園進学を決断していたのだ。
西川は、この時の決断について、こう語っている。
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「自分に足りないのは気持ちの部分だと思っていたので。プレーも淡々とやってしまって、闘志を前面に出すようなタイプではなかった。でも、兄が桐光学園に入学してから、体つきが物凄く変わっていったんで。兄も淡々とプレーするタイプだったのに、どんどんファイターになっていくというか、精神的に強くなっていくのが間近で見ていて分かったんです。
高校サッカーに行けば、自分も変われるんじゃないか……と思うようになったんです」
3学年上の兄・公基(現・神奈川大)も同じ横浜FMジュニアユース出身だが、ユースに昇格出来ず、桐光学園高校へと進学。線が細かった兄はどんどん逞しくなり、2年生からレギュラーを獲得。力強いドリブルとフィニッシュワークでインターハイや選手権で活躍した。兄の大きな変化を間近で見て、その弟は、多いに驚くと同時に自分自身の成長へのヒントをも見出したということだ。
「ジュニアユースのときにユースの練習にも参加したのですが、レベルは物凄く高いけど、みんな黙々と練習をしていた印象がありました。
でも桐光学園は練習中からみんなで声を出すし、アップのときもかなり気合いを入れている。自分達で戦う姿勢や雰囲気を出しているのを見て、『やっぱり自分に足りないものがある』と思ったので、桐光に来たんです」(西川)
「潤は僕の中で特別な存在です」
かくして、どういう運命の計らいからか、2人はチームメイトとなった。
入学して後、2人は知らず知らずのうちにお互いを刺激し合っていたようだ。
1年時から10番で不動のレギュラーの西川は、当初は佐々木にとってもまぶしい存在だったという。
「潤は僕の中で特別な存在です。中学の時、新横浜(横浜FMジュニアユース)と試合を良くしたのですが、ベンチから見ていたときは『潤、上手いな~』と思って眺めていて、途中交代で僕が試合に入って対戦をしてみたら、やっぱり嫌な相手(笑)。
潤は同じレフティーでドリブルが上手いので、練習や試合を見て、お手本にしたり、かなり勉強させてもらっています。1年のときはずっと『潤と同じピッチでプレーしたい』と思っていました」