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清原和博が1985年決勝を見る。
「自分の一番、輝いている瞬間を……」
posted2018/08/07 08:00
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Takashi Shimizu
清原和博が、1985年夏の決勝戦を見る――。
「Number」958号の甲子園特集において、この企画が持ち上がった時、正直、ぞくっとした。
「僕の人生の中で、一番忘れられない試合なんです」
自らがそう語る最高の瞬間を、暗闇の中にいる今の清原氏がどう見るのか。そこには、人の内面や本質をえぐり出すようなものが存在すると思った。
ただ同時に、実現は難しいのではないだろうか、とも思った。なぜなら、33年前の夏と、現在の清原氏の間にあるコントラストが残酷すぎるからだ。
プレーボールからゲームセットまで、すべてが「清原和博」という打者を中心に、美しく完結される、眩しすぎる、あの決勝戦を直視できると思えなかったからだ。
だが、清原氏はやってきた。視聴覚設備の関係で、場所は文藝春秋本社となった。それでも、何かを覚悟したように、そこへやってきた。
そして、薄暗い部屋で、ただ一点、明るく浮かび上がる画面の前に座した。
あの夏の自分と向き合ったのだ。
18歳の自分の笑顔と、今の無表情の間。
清原氏の表情は動かなかった。初めから終わりまで、まったく動かなかった。
重たい。苦しい。それ以外の感情は一切、表出しなかった。
その様は、まさに薬物依存症と鬱病に苦しむ、つまり自らの罪と闘う今の清原氏を表していた。
その眼前で、1985年8月21日、PL学園対宇部商の決勝戦が繰り広げられていく。
桑田真澄が苦しみ、チームがリードを奪われるたびに、PL学園の4番打者は自らのバットで勝負を引き戻す。ホームランで試合を支配していく。
「甲子園は清原のためにあるのか――」
あのフレーズが語り継がれるのは、誰もがそう思ってもおかしくない試合だったからだ。そのど真ん中で、18歳の自分が笑っている。
それを無表情のまま、清原氏はじっと見つめていた。